06≪ 2018/07 ≫08
12345678910111213141516171819202122232425262728293031
個別記事の管理2017-12-26 (Tue)
今年も残すところあと6日、いろいろあったけど
年末になって「そんなことちっちゃいことよ」なことが起きました

このブログでは時々、というかこの頃はしょっちゅう出て来る介護
義父&義母=要介護2&要介護1 で同居中
しっかりしていた時は別居だったので「同居のありがたさ」は全くなし
「介護の大変さ」だけがある、という悲しい現実

介護同居、足掛け10年、まだまだ続くのか~と思っていたけど
今から半月×3前、一か月半前ですね
いつもは「便で汚した」「他所の柿、しかも渋柿を食べた」
 「入浴拒否した」「デイサボった」「ストーブで火傷した」…と
色々と問題の多かった義父が

いつもだったら便で服・トイレ・手を汚すのに~汚れない
 それが当たり前だけど~なんかおかしくない

それでも本人は「何ともない」と言ってるし…思い過ごしかな?と

義父は大腸がん罹患者、この場合「腸閉塞が起きやすいこと
 その兆候としては「激しい痛み」「腹部の膨満」「吐き気」と
手術を受けたA病院でも、かかりつけのM医院でsも言われていて

便で汚される胃のは介護者は大変だけれど、詰まるよりはいい
 まぁ、我慢してください…と言われ続けていたのです

汚れないのは楽だけど、明らかにおかしい…と言って半月
 介護者(私)の都合でショートスティを利用していた時
「朝起きたら、少し吐いた跡がありまして」早退してM医院へ

これはA病院へ行った方が良い…はい、私もそう考えて
 保険証・診察券持参で行きましたよ

M医院で引き取って、A病院へは私の車で行くんだけど
 義父の呼気が凄く匂うんです
まるで昔のトイレ、アンモニア臭?こちらが気持ち悪くなりそう

A病院の救急科で、やはり「腸閉塞」と診断が出て
腸閉塞の治療は、鼻から管を入れて内容物を少しづつ取り出す
 というのが必要なんだけど、義父には無理
5年前の手術能登沖「せん妄」で点滴は抜く、勝手に立つ…大変でした

カルテにしっかり描いてあるし、外来の先生とも連絡とって
「おそらく抜いてしまうでしょう、そうなると感染症とか…」で無理と
 他には「人工肛門を付けて…」こちらも無理でしょうね~と

はい、私もそう思います
元々5年前の時も、認知症の問題や高齢であることから
 積極的治療は受けない、という話になっていたので
通常1500ccの点滴も、3分の一の量しか受けないことに
通常の量の点滴では腸が動いたりして腹膜炎などの問題につながるから

つまり、痛みのコントロールを保って、穏やかにその時を迎える
 という方針が決まったのがその日の夜
所が義父「全然痛くない」って、先生も??でつねってみると
 痛がるので「本当に痛くないのでしょう、ある意味ラッキー」ですって

え?腸閉塞って痛がるんですよね?吐き気もあるんでしょ??
 確かに腹部は少し膨らんでるし、体重が増えているけど
ショートスティで少し吐いたことに気づいてくれたけど
 もし、自宅だったら、ハッキリとした腸閉塞の兆候には気づきません

それに、義父のせいっ苦情「何ともない」と言い張って病院へは行きませんね
 義父も「家に帰るつもりだったらこんなところに連れてこられた」という始末だし

でも、この時先生からは「新年を迎えることは難しい」と
 「会わせたい人がいたら今の内に会わせてください」と言われてしまい

義父の兄弟・子供(自慢の次男ね)私たちの子供にも連絡したり

12月にはこんな試験やhttps://breastcare.jp/img/common/head_txt.jpg
ブログで知り合ったこの方々https://ameblo.jp/shimaemawo/
                https://ameblo.jp/nyan-daikichi/  との初オフ会の予定があったけど

今まで「もぉーーー」と何回も頭にきた義父だけど
人生の最期が近いと言われたら、諸々の計画を見送りました

そして、2週間(半月)が経ち、小康状態を保っている義父に
 「転院」の話が
救急指定病院なので、落ち着いた患者は転院するのだそうですが

「時々呼吸が止まりますが?」「それは終末期特有の呼吸です」
なんて状態の患者も転院させられるのですか???

と思いながら、転院の荷物をもって病院へ言った12月11日
 「ご希望のK病院へ転院手続きしています」と言われちゃうのでした



にほんブログ村
「怒涛の半月」はまだまだ続くのです
お読みいただいた証にポチっとしていただけると嬉しいです








今年も残すところ6日、色々あったけど
年末になって「そんなことちっちゃいことよ」なことが起きました

このブログでは時々、というか、このごろはしょっちゅう出て来る介護
義父&義母=要介護2&要介護1で同居中
しっかりしていた時は別居だったので、「同居のありがたさ」は全くなし
「介護の大変さ」だけがある、という悲しい現実

介護同居足掛け10年、まだまだ続くのか~と思っていたけど
今から半月×3、一か月半前ですね
いつもは「便で汚した」「他所の柿、しかも渋柿を食べた
 「入浴拒否した」「デイサボった」…と
色々と問題の多かった義父が

いつもだったら便で服・トイレ・手を汚すのに~汚れない
 当たり前のことになってるけど~なんかおかしくない

それでも本人は「何ともない」といっているし・・・思い過ごしかな?と

義父は大腸がん罹患者、この場合「腸閉塞」が起きやすいこと
 その兆候としては「激しい痛み」「腹部の膨満」「吐き気」と
手術を受けたA病院でも、かかりつけのM医院でも言われていて

便で汚されると介護じゃは大変だけど、詰まるよりは良い
 まぁ、我慢してください…と言われ続けてたのです

汚れないのは楽だけど、明らかにおかしい…と言って半月
介護者の都合でショートスティを利用していた時
「朝起きたら、少し吐いた跡がありました」と言われて
M医院まで送ってきてもらって「これはA病院に行った方が良い」

はい、私も初めからそう思ったので、診察券と保険証持参で引き取り
A病院へは、自家用車で行くんだけど
義父の呼気が匂うんですまるで昔のトイレに居るような
 アンモニア臭なのか?強烈で、気持ち悪くなりながらA病院救急科へ

そこで診察を受けたところ、やはり「腸閉塞」と言われて
腸閉塞の治療には、鼻から管を入れて内容物を取り出す
 というのが必要なのだけど、義父立派な認知症

救急のN先生、カルテを見たり、外来のH先生と連絡とったりで

「おそらく管を抜いてしまうでしょう」、はい、私もそう思います
あとは「人工肛門を付ける、でもこちらも触ったりしちゃうでしょう」はい、同感!

元々5年前から、認知症であること高齢であることから「無治療」を選んでいたので
あとは痛みのコントロールを取って穏やかに…ということになったのがその日の夜

ところが、義父「全然痛くない」と、先生が「認知症だから鈍感なのか?」と
 つねってみると「痛い!」と反応するので、本当に痛くないのだと判断

え?腸閉塞って痛いって聞いてましたけど?
確かに腹部は少し膨らんでいるような気がするけど?吐き気も言わないし…

ショートスティで少し吐いたものを見つけてくれたけど、自宅だったら気づきません

義父も「家に帰るつもりだったらこんなところに連れてこられて…」なんて言うし

でも、この時先生からは「新年を迎えるのは難しい」と宣言され
というのも、積極的治療を受けられないので
栄養点滴も通常の3分の1、必要最小限になるし

何より栄養補強をして、腸を動かしたりしたら、それこそ大変なことに
そして、いつ腹膜炎を起こすかわからない・・・

「今の内に合わせたい人がいたら…」とも言われるのでした

義弟や、義父の兄弟姉妹に連絡をしたり、私の子供達にも連絡したり…

12月にはこんな試験やhttps://breastcare.jp/img/common/head_txt.jpg
ブログで知り合った方々とhttps://ameblo.jp/shimaemawo/
               https://ameblo.jp/nyan-daikichi/ の初オフ会があったけど
今まで「もぉーーー」と何回も思った義父だけど
人生の最期が近いということなので、諸々の計画を見送るのでした

そして、2週間がたち、何とか小康状態を保っている義父に
「転院」の話が出始めて
A病院は「救急指定病院」なので症状の落ち着いた患者はどんどん転院

とはいっても、義父時々呼吸しないんですけど
こういう状態は「終末期」に起きるって先生言ってますよね
そんな状態でも転院させるんでしょうか???

と思いながら、転院時の荷物を持って行った12月10日
「転院先K病院に書類を出しました」と言われちゃうのです


にほんブログ村
「怒涛の半月」はまだまだ続きます
お読みいただいた証にポチっとしていただけると嬉しいです

Return

* Category : 未分類
* Comment : (0) * Trackback : (0) * |
個別記事の管理2017-11-06 (Mon)
11月に入って朝の冷え込みに参っています

お約束通り「月一更新」になってしまってます
 絵文字変わったや、またまた「パスワード変更を…」と言われ
  一層ブログ書くことが億劫になりそうです

元々、治療後11年&5ねん経って元気にしてるので
 「書くことないなぁ~」とやっていますから、人のせいにしてはいけませんね

そんな私に格好のネタが・・・嬉しくないですけど~
今から12日前の、10月25日のこと
ウチのニャンコ「起きたら即ごはん~」という元気な仔なの

5時12分、早朝ですよね「ごはんごはん」と起こすので寝ぼけ眼で
 もそもそと起き、ごはんを上げて「トイレに行って寝直そうと階下へ

家、義父のせいで2Fにトイレがありません
 立て替えるときに、自分たちの部屋に少しトイレが重なると知ったら
「頭の上にトイレがあるとは怪しからん」と言い張って

今でこそ「ヨレヨレ」ですが、当時はまだしゃっきりしていたので…
 仕方なく諦めましたよ、今は独り占めにしてることが多くて
「トイレ1個しかないんだから、長い」と意地悪言いますけど

そんなわけで目をこすりながら1Fへ
リビングに明かりがついているなぁ~また義母が起きてぼーっとしてるのか~

そんなことを思いながら、だからなのか足腰の問題なのか
 それと、肌がかさついてるからというのもあって
  踊り場を回ったあたりで、踏み外しまして

まず、腿の裏側を階段の縁にぶつけそのまま座り込むようにお尻もぶつけ
とどめに頭頂部を壁にぶつけたのでした

私の頭頂部、以前からぼやいているように、治療後5年経ってるのに
 まだまだ以前のように生えそろっていません

そこをぶつけてしまったんです、うっすら地肌も見えてますから
 毛って保護する役割もあるでしょ、一層痛いんです

結構な音に、主人も起きてきて「大丈夫かとは言ったけど
 痛い痛い、と言いながらも頭をさすったり
落ちた経過を話すし、しびれてもいないし、朝ごはんも作って食べるし
  「まぁ打ってても大丈夫かな」と

頭頂部を見てもらったら「笑えるほど大きいたんこぶ」ができていて
 「たんこぶになってるから大丈夫じゃない」っていうんですゎ
   確かにぷっくりしてましたけど、笑うのはあんまりでしょ

頭部の打撲って、後に出て来ることがあるでしょ
 義父も交通事故起こして1か月半後に「慢性硬膜下血腫」だったし 
踏み外したことを聞いた人、みんながみんな「あとから出て来るよ」って

なので、ドキドキしながら過ごして
もし具合悪くなっても良いように、って伴奏の録音も済ませて…

でも今現在大丈夫なので、たぶん大丈夫よね

腿の「青タン」は一時は湿布薬より大きかったけど
 今は殆ど消えてるし、頭頂部の赤味もうっすら~になったし
何よりシャンプーで思わずごしごししても大丈夫

実は階段踏み外すの2回目なんです、なので、「手摺」を付けてもらいました
 これも、新築の時に義父がね~「2Fのことは分からんから」って断ったという
  全ての元凶は義父にあるような気がする


そして、この日は母の31回目の命日
 実家に行っても、兄が線香を嫌うので手を合わせるだけ
だから「バチ」が当たったのかそれとも守ってくれたのか

いずれにしても足腰の弱りを感じ、頭頂部の弱りも痛感した事件でした




にほんブログ村
これからこんなこと多くなるのかしら?いやぁね~歳は取りたくないゎ
お読みいただいた証にポチっとしていただけると嬉しいです

* Category : 未分類
* Comment : (2) * Trackback : (0) * |

* by デコ
あらっ
それは痛いよ( ;∀;)

デコも年に数回こぶ作ります(笑)
そして後から何でここ腫れてんだ??

あっそう言えば・・・
メガネを外して室内を歩き
なんかの拍子にガツン

そう言えばベランダの防火塀に周りの景色に気を取られながら歩いててオデコが~ぁん

☆出だ事あったなぁ(もう何年も前)

誰にでもあるけどこぶはまぢで痛いのねっ( ;∀;)
お大事になのだっ

Re: タイトルなし * by ともりん

♪デコ♪さん、こんばんわ~コメントありがとうございます。
あらら~デコさんも「こぶ作り名人」さんなんですか?
そうそう、なんか痛いな~なにしたかな~~ってことあるんですよね、歳?

☆が出るほどって、相当な痛みv-12
デコさんの「オデコ」…決して笑うところではありません、が、ついつい想像しちゃいました(謝

脚の小指って一番痛いと思いません?時々やるんですよ
そんな時は「車幅間隔」がないとバカにされますけど

今回のは、腿とかお尻は心配してないけど、さすがに頭頂部はね~
しかも薄毛で悩み中の場所だから、もし検査ってなったら…いやだな~という気持ちもあって
なんとか受診・検査は免れました(笑

丁度美容院でカットなんて思ってた時だったけど、一週間遅らせて行きました
まだ赤味が残ってたけど、痛くないから良いかって
美容師さん(乳がん体験者)にも「あとから出て来るかもよ~」と言われたりね

なんとか髪の毛が戻ってくれると…心配なく・堂々と!受診できたのよね、あ~~あ、です

寒くなりましたね、朝活の時には十分の服装で行ってくださいね♡



個別記事の管理2017-10-13 (Fri)
って、もう半月前ですけど
この頃は月1更新あればOKって感じになっちゃってます

10月1日(日)
この日は、音大の同窓会の日、前回から4年経ってるし
「赤いものを着て」お祝いする「節目の年」でもあるのでと開催

まず、私が家を空けるには、義父母の面倒を見てもらう人が必要
主人は……「一人では無理」というのでショートステイへ

ショートステイってなかなか取れないけど、ケアマネさん頑張ってくれました

この二人の荷物を作るのが結構大変~
特に「汚し屋」の義父のは「念のため…」ってやったらボストンバッグ2つに
持ち物全てに記名して…子供かそれを二人分、ここで疲れました~
4年前はごはんの事だけ頼んで行けたのに、進行していますね

同窓会では、4年前にあった人も居れば、卒業以来40年近くぶりの人も多数
でもね、大人になった顔って、年取っても分かるものなんですよ
受付で「○○ちゃん」ってみんなで「変わらないね~~」と慰め合う

一学年100名くらい、同じ科は30名、なので皆顔見知り

乳がんに罹る人は、今12名or11名に一人、って言われてるから
きっとこの中にも1,2人はいるのよねと思っていたら
傍に座って懐かしく思っていたOさん、
  ちょっとふくよかになったかな~(心の声)

Oさんが「変わらないね~」と言ってくれたけど(実は病気したのよ・心の声)
 「私ね、去年乳がんになっちゃって、薬飲んでるの、太っちゃったのよ」って

えーー、まさに2人目が近くになので私も
「実は私もなのよ、それも2回も。
  一回目は10年経ってるけど、次のは6年目なの」と

{ホルモン}とか{トリネガ}という、独特の話も二人で通じて
「やっぱり12人くらいに一人はいるんだね~」「今日ってあの日よね」なんて

私は手術+放射線+抗がん剤(6か月)
 Oさんは手術+放射線+ホルモン療法(10年)
「長いけど、その方が良いって言うからやることにしたけど…太るのよ」
短期決戦で髪の毛が元に戻っていない私と長期にわたるOさん
副作用もそれぞれだったけど、「まだまだこれからだもんね、治療もがんばるわ」と話したのでした
ヘアピースのこと言っても「自然だよ、分からないもの」と
 本当にそれはそれで嬉しいかな、このごろ諦めも出ています

この日は日本中で色々なイベントがあったみたいですね
そして、やはり有名人の方の発言に

週刊誌の見出しだけだから、どこまでが本当かわからないけど

・確か、「超早期です」みたいなこと言ってましたよね
 でも、ハーセプチンを勧められたってことはそれなりの浸潤では?
・ハーセプチンって「分子標的治療薬」でしょ
 ひとくくりの「抗がん剤」って言っちゃっていいのかな?
・「鬱」になったというのは大変な日々を送っていたんですね
 でも、某保険のCMでは「家族・主人の支え…」みたいなこと言ってましたよね
  そんなに支えてもらった気のない私は羨ましかったもんね~~
   と主人に言ったら「俺だって頑張ってた」と具体的にはど~~こ

ここまでなら「表現の違い」で済むけれど
 「私の場合ですが」と言いながらの諸々の発言は、どうなのかしら
一番は、主催者側がどこまで・どういうことを語るのかのチェックですけど

一度口から出た言葉は戻らないから 
 特に有名人・女優さんは気を付けてもらわないと、と改めて思っちゃいました


にほんブログ村
明日からまたまたショートステイ、今に持つと格闘中 冬物はかさばるからね~
お読みいただいた証にポチっとしていただけると嬉しいです
* Category : 未分類
* Comment : (0) * Trackback : (0) * |
個別記事の管理2017-09-22 (Fri)
9月も後一週間を残すのみ、今年も残り僅かになりましたね
相変わらず元気で介護に励んでいます良いんだか・悪いんだか
自分が動ける・働けるということは良いことよね、と思うようにしています

だって、10年前「還暦を迎えられない」などと思っていたのに
なんとか罹患しても、2度目があっても、10年無事に生きてるんですもの

人それぞれで、80歳過ぎても現役で働ける人も居れば
若くして病気や災害で…という場合もあるから

主人は姉・主人・弟の3姉弟
結婚した時から、私はどうしても義姉が苦手

そんな意識があったから、余計に思うのかもだけど
前々回書いたように「自分の親なのに・切実感がない」義姉に辟易
それでいて、脳血管障害の親に「おねだり」するものだから、もう

他にも、おじの亡くなったことを知らせたのに「聞いてない」とか
 その葬式の時にも香典を「立て替えといて」と認知症の義父母に言うのょ
いい歳なんだから「郵送してもらえば持っていく」と言ったのにそのまま

「立て替えさせる」ということは他人事になってしまうから忘れたのかなぁ

他にも「りんごはまだ?」とか言うし
大体倒れた老親が農作業できると思ってるの
 それとも同居したんだから農作業してると思ってるの
義姉の評価はぐんぐん下がって 「貰うだけもらって」と思っていたの

義姉には子供が3人・女・男・男…あらら、親子2代で同じ構造ね
 下の甥が遊びがてらに寄ったときに「別居しようかな~」っていうから
「洗濯・掃除自分でしなくっちゃだょ」っていう話をしたら
「今も自分でやってる、母(義姉)は寝てるだけ」だから同じだと

それも「暗い部屋で明かりもつけずに、ご飯はほとんど食べない」と
変形性膝関節症で人工関節の手術を受け 
 リハビリも頑張ったけど、完全には治らなかったとのこと
日中一人になる義姉、脚が痛いので出かけず、もちろん買い物などしなくて
 お腹がすいたらお菓子を食べる、という生活だというの

電話の受けごたえも可笑しいしそんなことを聞いたら心配になって

「鬱」でも同じような状態だというのを聞いたので「鬱」なのか
 でも、色々忘れちゃうことは「認知症」なのか
主人が義兄と話をしたら「激高するときもある」なんて言うの
 脚のリハビリも「痛いから嫌だ」と途中で止めてしまっていたんですって
その時も「自分の為だから頑張れ」といっても
 「この痛みは分からないくせに…」とどうしても言うことは聞かなかったと

これって典型的な「認知症」なんじゃないかしら
 ちょっと前までの義父がそうだったものね

この時義姉は60代に入ったばかり、認知症じゃないと思いたかった

義姉が一番言うことを聞くのが長女(姪)だというので
 姪になんとか病院に行くようにさせたら
残念なことに「若年性認知症」という診断に

脚が悪く「肢体不自由」という障害もあって動けなく
 生活が限られっちゃったから認知度も下がった…
自立した生活が送れないとだめだなぁ、と主人は言うけど

脚が悪くて車いすでも認知度が下がらない人も居るもの
 根本的な原因は違うところにあると思うのです


にほんブログ村
「忘れる」ということは本人は「幸せである」と思うんです、周りは大変ですけど
お読みいただいた証にポチっとしていただけると嬉しいです

 

* Category : 未分類
* Comment : (2) * Trackback : (0) * |

* by ♪デコ♪
そうだねぇ
記事を読ませて貰ってデコも同じ事を思ってた

親戚づきあい。。色々よねっ

デコ自身それで苦労した事はないですが
デコ親の方で色々あったわぁ(過去に)

今は断絶してるから
他人様が親戚のようなもの

煩わしいのは排除
これもありかなって(*'▽')

介護となるとまた色々ねっ
我が家もどうなる事やら

早くもう一回嫁にいくか(笑)
もう無理かっ50だしっ

Re: タイトルなし * by ともりん
♪デコ♪さん、こんばんわ!コメントありがとうございます!
もうそちらはすっかり秋でしょうね、風邪とか大丈夫ですか?

ありがとう、同感してくれる人がいて嬉しいです!
親戚づきあいって難しいですよね、特に連れ合いの姉なので、あまり疎遠になるのも…と思っていたの

人間だから好き嫌いとか、なんとなく合わないってことがあるでしょ
そのまま距離を置いていたんだけど、ここ5・6年は無理やり同居ってことも有って、色々と思うことが増えちゃったのね

病気にんったことは大変だと思うし、気の毒かな~とも
だってまだ60代中盤なんですもの、普通だったらバリバリ現役のはずが
ほぼ寝たきり、経口摂取もできなくて胃ろう…本人も可哀そうだけど、周りの家族が気の毒ですよね
家には、その両親90代&80代後半がいて、この二人を預けることが第一関門なのよね、県外なのでそうすぐには見舞うとかもできないし
主人が行った時もすぐには分からなくて、姪が何回も説明してやっとわかった感じだったんですって

そんなことも有って、この頃は、病気で意識がしっかりして後の始末もして逝くっていう方が良いのか、全く分からなくなって自由気ままになって逝く方が良いのかって切実に考えてます
後者は介護してもらえるっていうのが必要条件だけどね
願わくば、「ピンピンコロリ」がいいなぁ~、ということは毎日片づけとかないとね、ですが

デコさん、まだまだ50ですよ!もう一回是非とも!
と言いながらしがらみがあるのは勘弁だな~と思っちゃいます


個別記事の管理2017-08-16 (Wed)
月遅れのお盆も今日で終わり、無事送ってきました

私、お盆というと良いイメージが無いんです
もちろん!子供の頃は、普段会えない従兄弟と遊んだりで楽しかったけど
結婚してからは「憂鬱なもの」でしかなかったわ

主人は姉・弟の三人姉弟の長男
子供の頃から「お前は長男だから」と、今ではボケボケの父親に言われていたらしい

ま、長男だから家のことは「やって当たり前」と

農家なので、子供も立派な働き手
だったら弟である二男も同じようにすれば良いのに
そうでなかったらしいんですよ
二男は手伝わず「お勉強」していたらしいの
私の子供たちか「よくお父さんグレなかったねー」と
それくらい扱い方が違ってたんですよね

それについては本人が納得してるから良いとして

問題は、姉である長女で

義母は08年・5月に脳幹出血、義父は同8月に慢性硬膜下血腫で入院

普通、親が入院した、となったら心配で里帰りとかしますよね

ところが、義姉ったら電話で「落ち着いている」なんて言ったら

「そう、じゃあヨロシク」と来たんですよ
それだけでもビックリでしょ

それはまだまだ序の口
義父母の容態が落ち着いて、二人とも自宅に戻って
私のながーーい介護生活が始まるわけです

ある日、義姉から義母に電話があり
興味もないし、母子だから話もあるでしょと放置

次の日義母が「郵便局へ行きたい」と
歩いていくには遠いので買い物ついでに乗せていって

ということが2回あって
自由に使うお金も必要だからね~と思いながらも

そういえば義姉から電話があると行くわね

その内に義母の認知症が進んで字を書いたりも怪しくなり

それでも義姉から電話があると「郵便局…」っていうの
代筆で手続きしてあげたこと2回

そして3回目には義母が小声で「もう私は色々できないから…」と言って

義母のお金ですから義母が思うようにすれば良いと思っていたの

それまでは「お金のムシン」と解っても主人には言わずにいたけど
流石に義母も断るくらいだから、良いかなーって思うから言っちゃいましたよ

私の感覚だと、年金生活の親にお金の援助を頼むってどうなの
両親共に亡くなってるのでできないけど
もし健在だったら、親がくれるというのは貰うけど、果たして脛かじるかな

因みに当時義姉の子供達は皆成人して、働いてもいたの
仕送りとかの世代だとあるかも知れないけどでしょ

何よりも、親が具合が悪いときに「お見舞い」も一回ずつ来ただけ
二人とも2ヶ月以上入院したし、退院しても
様子を見に来るわけでもなく

義姉、まだまだ義母がバリバリ仕切っていたころ
夏休みに子供達連れて里帰りしてきても
ごはんの準備はもちろん後片付けもしなかったの夕飯後は子供たちと花火などして遊んで
片づけは主に私、私だって子供たちと花火師たいゎいでした

義母の入院時に義父が「お茶入れてくれ」といったら
「お茶碗わからない…」と実家なのにですよ
結局私の娘が
「茶碗探して淹れてやった、おばちゃん使えなーい」と

なので、もし来ても役にはたたないだろうし、こちらがイラつくだけだけど

そんな感じで居ておいてお金を融通して貰うってどうなのですよ

仕事をしているわけでもなく、子供達の手もかからず
県外とは言っても凄く遠くでもないのに
「世話は長男がするのが当たり前」とでも言うのか
「だって○○(主人のことね)がいるから良いじゃない」ですと
まるで昔の考え方をしてるのね

ただ、膝が痛くて思うように動けないといってたけど
膝くらい私だって痛いわー、湿布はってるわーー

と吠えていたのが3年前
実は、お金を貰いたがるのにも訳があるのでした

それについてはまた今度


にほんブログ村
言いたいことは言った方がすっきりして良いですよね、ということでいっぱい書いちゃった
お読みいただいた証にポチっとしていただけると嬉しいです






* Category : 未分類
* Comment : (0) * Trackback : (0) * |