個別記事の管理2013-12-31 (Tue)
手術の時間が大幅に遅れて、やっと入室できた2012年4月26日(木)

待ちくたびれちゃった感の患者・Dr.……
前の手術は心臓系ということは聞いていたのです、遅くなるかもも
 でもまさか3時間以上も遅くなるとはね~

心なし、マキマキで進んでいるような気が
 だって、始まりが17:30です、お勤めなら終業時間ですよね
麻酔科の先生もパパっと手際よく掛けてくれて
 麻酔が掛かっているので手術中のことは全く分かりません

センチネルリンパ生検を受けたりしての終了時間が20:40
 なんと、自分で時計を見たのです

自慢にはなりませんが、49歳の時の手術から合計3回全身麻酔を受けました
 一回目:右乳がん
     回復室で先生に受け答えをしたことすら覚えていない
     翌朝までぐっすり眠っていた
 2回目:卵巣嚢腫
     回復室の記憶も今回も全くなし
     導尿カテーテルが捻じれていることにも気づかず、発熱も気づかず
      ひたすら眠っていた
 3回目:左乳がん
     回復室の時計を自分で見て、時間を確認
     夜中、腰が痛くてはやく朝になって、動けるようになりたいと思っていた

特に回復室で先生が「えらく遅くなっちゃいましたね、すみませんでしたね」
 と言われるのに「いいえ」とはっきり答え
更に「やっぱり心臓手術って時間が掛かるからね」というのに「そうですね」
 「気持ち悪くなさそうだね」にも「はい」と答えていました

麻酔とかって、体がなれるということがあるのでしょうか?
 特に、今回の手術の時の醒め方がはっきりしていて
ひょっとしたら麻酔科の先生焦ってうす~~く掛けたとか

なんてことはありませんが、麻酔のキレが良かったのが災いするのか
 今まで術後の夜は大人しく寝ていられたのに
この時は腰の痛みで一睡もできず、血圧もMAXに高かったのだそうです

麻酔が効いて起きられないのも心配ですが
 ちょっとは余韻が残っていた方が安静にできるかなと思いました


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今年も残すところ9時間余り。来年も欲を言いません、現状維持でいけたらいいなと思います
みなさま、どうぞ佳いお年をお迎えください

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個別記事の管理2013-12-30 (Mon)
乳がんでも、どういうタイプの物か不明
 ホルモンレセプターが少しでもあればという希望の元
手術先行で術後治療は術後ということになり
 2012年4月25日(水)入院、翌手術ということになりました

今回は、あらかじめ温存療法ということが決まっていたのですが
 あとでじっくり考えると、両側乳がんだし、家族歴があるので
こういう場合は全摘手術のほうが良かったのかな~~って

先生は「残せるものは残してあげたい」とことあるごとに言われていたので
 この判断が間違っていないように、今は祈るのみです

温存療法となると、放射線治療がついてくのですが
 引っ越したので病院まで片道1時間、治療10分というのが
  ちょっと体力的にもきついのではないかと思って
 放射線治療は別の、自宅から近い病院を紹介してもらうことに決めました

一度経験しているので 今度の時は入院自体は手こずらず
「医学生等・・・・協力いたします」という書類にもポンと印を付き
今回は「救命救急士」を目指す方のお役に立つことになりました

前回、右の時と大きく違うのが「女性病棟」ということで、婦人科の人たちと一緒の病室
 HCUと同じ機構の部屋なので、暖房も効いていて、ちょっと汗ばむくらいでした
入眠剤の「マイスリー」を「スマイリー」と言ってしまったことをDr.にからかわれ
 順調に眠りに入ることができました

手術当日、家族は12時に、手術は14時~の予定ですと言われていたのですが
「大きな手術がありますから、遅れるかもしれません」とも言われていました

ですが、14時になっても、15時になっても……何の連絡もありません
 このころになると、手術着でいるのも疲れてきて
だって、もう丁字帯になってるし朝から食事は抜いてるし
 水分もダメなんて言われているので

それに、家族たる主人は何を思ったか、11時に病室に来て
 お昼は「食べる気がしない」と弱気なことを言って
ちょこっとパンを口にしただけで待っている頃に「お腹すいた」って
 だから、しっかり食べてって言ったのに

16時、さすがに病室のベッドのそばにいるのも疲れて来たので
 「すみません、家族室使わせてください」と申し出て
畳の上でごろごろしながら待ちました
 看護師さんって、こういうことにも気を配らなければいけないのでしょうね
病棟主任さんが「気が利かなくてすみません」って、ちょっと横になりたかっただけですよ~

17時…まだまだ 病棟の電話が鳴るたびに「今度こそ!」って期待しちゃうんです
 本当は手術なんて受けたくないのに、こうなったら早く終わらせてしまいたい

17時半、や~~っと「お待たせしてすみません、手術室にご案内します」と
 実に3時間半、この時間は内から裕に東京までいける時間です
この時主人は爆睡 していましたから
 患者に起こされるのって 心配でごはん食べられなかったって
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今年もあと1日、去年の今頃はむくんでいて体が重かったな~
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個別記事の管理2013-12-29 (Sun)
義父とのWがん告知を受けた2012年3月、エコー下細胞診を受けたのに
 乳がんなのか、他の病気なのか分からないので
組織診を受けた方が良いと言われてしまいました

病院での細胞診では
 ・標本中に採取されている細胞のほとんどはリンパ球で多数認められる
 ・一見するとリンパ節由来と思える細胞像
 ・リンパ球は多彩な像を示しリンパ濾胞の存在も示唆される
 ・全体としてはやや幼若な中型リンパ球が主体
 ・リンパ球のみを診れば悪性リンパ腫も鑑別に挙げられる

 ・しかし、このリンパ球に混じって大小の異型細胞集塊が少数認められる
 ・集塊は細胞密度が高く異常集積を示し、腺腔構造などの特定配列は認められない
 ・N/C比が高い細胞がほとんどで大型で非常に明瞭な核小体を単個認める
 ・散在性にも同様の異型細胞が認められ、この細胞は癌が疑われる所見

穿刺2回目はほとんどリンパ球しか認められず、全体的にリンパ球優位の細胞像で、
 癌と思われる成分はごく少数のため解釈が難しい
リンパ球浸潤を伴った「髄様癌」が最も疑われます
できれば、組織診を受けた方が良いかと思います

ということで組織診をI病院で受けて、4月17日に「家族同伴」の診察に行きました

なのに、その組織診の結果は

エコー上は
 ・充実腺癌  ・嚢胞内癌  ・繊維腺腫(良性) などの鑑別を取ります
 ・頻度は高くありませんが、悪性リンパ腫・髄様癌も同様に鑑別になります
え~~ 折角組織診都やらを受けたのに何だかわからないじゃないですか

ということで、家族同伴の診察でも
「詳しいことは切ってみないと分からないので……」
この時点で、またもやトリプルネガティブタイプと言われていたのですが
「ひょっとしたらどこかにホルモンに反応するのがあるかもしれない、1%でもあればいいね~」
といわれ、「取りあえず手術を受けて、それから術後の治療を決めましょう」と
「今回は限局しているので、温存手術で行きます」とそこだけははっきりしたのでした

手術は4月26日(木)に受けることになりました

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今日も大掃除に精をだし、右わきがちょっとケンカ腰になっています
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個別記事の管理2013-12-28 (Sat)
自分の置かれている状況がイマイチわからないままに、手術入院した義父
齢87にして初めて意識のある状態からの手術(以前のは意識殆どなく緊急手術だったの

訪問看護の看護師さんたちは、「果たしてこの年齢の手術は大丈夫か?」
 「認知症のこともあるので心配」「今の状態で退院できるか?」
なんて、とても心配の様でしたが
消化器外科の先生によると「このまま放っておいたら、ガンにより腸壊死や腸重積」
 「そうなってからの治療は尚更難しい」「即死に結びつく」というのです
以前の時の、せん妄のことを話しても「大丈夫です、対処します」という 
  なんとも頼もしいお言葉

そのお言葉の通り、手術中はもちろん翌日ICUに見舞いに行ったら
 ベッドの上でドレーン付けたまま四つん這いになっていたり
回復し始めると出されたお粥が「まずい!」とお盆をひっくり返していても
 「いや~久しぶりに星飛雄馬の世界でしたよ」と言ってくれたり
「もう元気だで、帰らせてもらいますわ」とのたまっても
  始終にこやかに「はい、もう少しここにいてくださいね」「ここ嫌いですか?」って
本当に、申し訳ございません。穴があったら入りたい家族です

認知症の方はこんな感じですが、体力的には平均値以上の様で
 とても予定通りにはいかないと思っていたのに
なんと全く予定通り、2週間目には退院指導なる名目で呼ばれました

本来なら、経過順調でとても悦ばしいことなんだけど
 困ります 出されても介護者がいません
退院指導は、今後の食生活のことについてが主にあったのですが
 その食事を作る人がこれから入院ですけど

ケアマネジャーさんにも相談して、なんとか入院を延長にして貰えないかと画策
 「リハビリを増やしてもらいましょう」となったのですが
家に帰りたい一心の義父がこんな時ばかり頑張ってしまって
「歩行も力強くなってきましたから、術後の経過も順調ですし…」
 ふ~~出るしかないのですか こんな予定ではなかったのに~~

病院のソーシャルワーカーさんは病院側なので、なんか出ていくような感じにね、話すんですよ
 ケアマネさんは家庭事情を考慮してもらいたいと言ってくれてもね…
病院は新患者を受け入れた方がいろいろ良いのですよね

結局、義母がショートスティする施設に掛け合ってもらって
 ちょっと狭くなるけど義母と二人で一部屋に入れてもらえることになりました

訪問看護ステーションに一日おきくらいに報告の電話をすると
 「え~~、もうお粥食べてるの!」や「リハビリ頑張ってるの!」と
 普段見ているのと違うのが(*_*)のようでした
最高の言葉が「こんな時に頑張らなくてもね~」「無駄に体力あるんだ」
 そう思いますよね、いつもはヘロヘロな状態をみせているんですから

大戦を生き延びてきた人たちの基礎体力は現代の私たちより遥に上回っているんでしょうね

そんなことをやっている間も、自分の術前診察(家族同伴)やら
 入院準備・留守中の準備と忙しさに気を紛らわしていました

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病院には殊に高齢者の家族が出せれたら困るっていう人多いんですって
 その気持ちと~~っても良くわかります
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個別記事の管理2013-12-27 (Fri)
同じ日に嫁(この言い方好きじゃないけど)と舅がW告知を受けた2012年3月23日(金)
 私は病院で泣いたことによってちょっと落ち着いたのですが
義父は言われていることが全てわかるということでなく
 言葉の断片しか理解できないようでした
「手術を受ける」「入院する」この2点が大きな問題と考えているようで
私の「手術後の治療」「余命」「再発?転移?新たなもの?」「入院中の家族の生活」…
  というような心配・疑問とは性質が違います
やはり、こういう時は「よくわからない」方が幸せなのかもしれないと思いました

義父の認知症の症状は、薬が効いているのかTVドラマのような
 一気に悪くなるということはなく、穏やかに悪くなっています
体調不良が続いたし、便潜血反応があったので
 ピンポイントで大腸がん検査を受けたのですが
あれって、腸内を綺麗にするためにいろいろするわけでして
 前日の薬管理、当日朝の絶食は口をすっぱーーくして二人に(義父母)言って
当日になっても行きたくないから全てぐずぐずやるの
 ギャーギャー言ってやーーっと間に合いました

便を出しきるために「ニフレック」を3リットル
 飲め~と言われてもね~~ 普通の人でも苦しいですよね(経験者です
「お口直しに飴をどうぞ」と言われた飴は必要以上に口にして
 肝心の薬は「もう、飲めね~~」って半分以上残ってますけど
そんな状態なので、検査は綺麗になった順だから、遅い遅い
 結局5時ごろになってやっと検査にたどり着きました
お蔭で、この日のレッスンは急遽休みにして貰ったわ
 自分もどうなるか分からないから休みたくなかったのに

心配だった検査中はスムーズで、お医者さんのいうことは聞くのです
 完全に「私はばかにされてるわ」って思いましたね

そんなドタバタな検査後、手術・治療が必要ということで3月下旬は病院通い
 (この検査の翌日は自分の組織診・PET・MRIの日、通院で忙しいったら)
手術日を決める時、 私は25日(水)入院・翌26日(木)手術と決まっていたので
なるべく早い時期にお願いしたら、なんと4月8日(日)入院・翌9日(月)手術となりました

訪問看護の看護師さんたちと、手術予定表を見ながら
 「この予定ってあくまでも若い人のことで、順調の場合だから…」
  「これより長く入院になると思って置いた方が良いですよね」って
中々このようにはならないと思いますよ~ 普通はね

できれば、私が退院してそこそこ動けるようになってから
 退院してくれればいいのよね~~って皆で話していたのです

でもね、子供が3人いるんだから、何も私の手術を考慮しなくてもいいわけではないの
 手術・入院が必要と連絡しても、「行きます」っては言わないのね
辛うじて義弟・その妻が「お願いします」は言ったわ、何だかね~~モヤモヤ・ブツブツ

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認知症×2は体力・我慢力が必要です、が、私にはありませんよ~
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個別記事の管理2013-12-26 (Thu)
ほぼ毎年のMMG 検査では「異常」と診断されず
 久しぶりに受けたエコー・超音波検査で「腫瘤あり」ということで
2012年3月13日(火)
 エコー下細胞診を通院中のS病院で受けました
この結果は3月23日(金)
 主治医S先生より「悪性診断が出ちゃったょ」と宣告され
改めてMMG画像を見たのですが、腫瘤のあるところは
 他の所と見比べても特に変わったようには見えませんでした
先生自身も「しいて言えば、黒さが薄い気がするかな~」と
 普通に見たら何も変化が無いように見えてしまいました
先生も「エコーの形が悪いから、かな~って思ったけど、う~~ん」って
右の時はエコーでは良性に見え、左の時はMMGでは区別がつかず
 其々が違うのでしょうか?やっぱりMMGとエコーの両方が必要ということでしょうか?

次の検査、PET/CT・MRIをI病院に受けに行くことに
 書類を整えてくれたI看護師さんが「調子よかったのにね」
  「一人で帰れますか?」なんて優しく言ってくれるから
  涙が出ちゃうじゃあないですか
泣いちゃう方が体がシャキッとするのかな?家までは無事帰れました
 主人にメールで知らせたら慌てていましたけど
返信に「支えるから治療がんばろう」ってあって、支えて当たり前じゃ!って
 返さなかったけど 思っちゃいました、ね~

2012年4月4日、 PET/CT・MRI検査を受けるためにI病院へ

このI病院、義母の初期治療や以前のPET検査の時にも行った病院ですが
 初めて暗い・どんよりとした気分で行きました
豪華な雰囲気の待合室が余計に腹立たしいというか気分にそぐわなく
「何で自分だけ」とか「何も悪いことしていないのに」とか
  何もかもが腹立たしい毎日でした
一度目の右の時は母も乳がんだったから「ついになっちゃたか」って思ったけど
 だからこそ、食事とか生活習慣にも気をつけていたし
右はトリネガだったけど、非浸潤で化学療法のメリットがないっていうから
 服薬もなく過ごしていても、悪いものは排除していたつもりなのに
なんで二回も乳がんの宣告を受けなきゃいけないの
   義父・義母の介護だって手を抜かずにやってるのに
いえ、それどころかストレスの原因はこの介護でしょって

恨むわけではないけれど、理不尽に感じていました
しかも昔気質だから「介護は嫁がやって当たり前」みたいな風習もあって
 遠くに嫁いだ娘は「他人」だそうで「そんなわざわざ来てもらわなくても…」 
は~ 来て当然でしょうに
 大体そういわれても心配で来るのが人情でしょう
当てにならない物を当てにしてもしょうがないのですが、ブチブチと主人に八つ当たり
 自分のことで精一杯、心に余裕がないものだから、ブラックも入って
「何もしなくても貰えるものは貰おうなんて良い身分よね!」とまで言ってました
  あとからちょっと謝っちゃいましたけど
このころが一番精神的にボロボロだったんだな~と思います

私が宣告を受けたその日は、義父の結果が出る日
 午前中は自分が奈落に落とされ、他人のことどころではないのに
長男である主人が年度末で立場上休めなくていたので、午後は義父を連れてA病院へ
 どれだけやることがあるんですか!自分のことだけを考えていられたら!

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当たられる主人も可哀そうかなとは思うんですよね
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個別記事の管理2013-12-25 (Wed)
術後の検診も診察もさぼることなく(そんな勇気がない
 7年目を迎えて、トリネガだから・5年無事だったから…
なんて、変な自信が付き始めた2012年・春
 いつものような気持ちで、MMGとエコーの検査を受けました

MMGでは特に所見もなく、痛さも術直後に比べたらこんなものかな~って
 そうそう、病院が検診に力を入れるというか検診の動線を考慮して
MMG検査室が人間ドックの建物の中に入ってしまったのね
 外科の診察室からズーーーーッと遠くなって
元気な患者は良いけど、重症になっての検査は移動だけで大変
 「車椅子でお連れします、お声かけてください」って
初めから負担がかからないようにして貰いたいわ ブツブツ……
そしてエコー検査、右は術創のとこは丹念だったけど他はスムーズに
 ところが、左はある個所になったら行ったり来たり、カシャカシャ撮影
検査慣れしてくると、この行為だけで「ああ、なんか異常なの??」って思うのです

検査終了後、自分で資料を持っていくので封筒をのぞき見
 左乳腺 CD区 低エコー 形状:不整形 辺縁:不整 境界:明瞭 腋窩:明らかな腫脹なし…
 右乳腺 明らかな再発所見(-)
 両乳腺とも豹紋状パターン顕著
更に「左乳腺MMGではいかがでしたか」なんてコメントがあって
 もう、これって絶対異常があるんだわ と 落ち込みました 

診察室に戻り、S先生が改めてMMGの画像を診て視触診して
 自分で触っても何ともなかったけど、先生が触っても「ここだよね~う~んわかんないな~」
いつも以上に丁寧に触診しても、ガン独特の感じに触れるものがないと
白黒はっきりさせるために針精検・MRI・PET検査の予定が入りました
 この流れって・・・・・・・ですよね 一度経験してますもの

自分がこんな状況なのに、例の「要介護Ⅱ」の義父が
 罹りつけの先生&嫁がギャーギャー言って渋々受けた健康診断で
貧血顕著、更に倒れたりするものだから詳しい検査を受けることになり、
 様々な結果から2年間放っておいた「大腸がん検査・出血反応+」を精査することに

何が疲れるって何かあると「もう俺は死んでも良い」「死ぬ覚悟はできている」
 「あの戦争で俺は死ぬべきだった」と軽々しく「死」を口にする癖に
ちょっとでも具合が悪くなると、パニックに似た症状を出すのが困るんですよ 

とはいえ、明らかに体調が悪いのを放っておくわけにもいかず
 自分のことで精いっぱい、自分のことだけ考えていたいのに
分からず屋の義父をA病院の外科に連れて行きました
 
時は2月~3月、息子である主人は年度末で仕事で身動きが取れず
 娘である義姉は例によって頼りにならず、義弟夫婦もね~
遠くに住んでいるということはこういう時に当てにならないものです

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昨夜(日付が変わるころ)も訪問看護師さんに来ていただきました
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個別記事の管理2013-12-24 (Tue)
心臓の検査でも大きな問題はなく、そう聞いただけで 
 体調が良くなるという単細胞なわ・た・し

術後5年検診はPETでの検査だったので
 MMG検査が半年ずれて2011年6月17日(金)の診察日に
今まで、全体的に白っぽく映っていたのは、乳腺がしっかりしていたからでしたが
 この時からは白っぽいところが減ってきていました
まぁ、年を取ったので脂肪に置き換わったからだそうですが

そのせいで、今までは目立たなかった手術縫合部の重なりが
 白い線上に映っていたので、慌て者の私
「なんか白く細長く映っていますが!?」と
縫い合わせてあるのですから重なりになるわけですよね
 言われてみれば納得 でも、焦るんですよ

この診察時に、MMGは2年に一度、PETは1年半に一度の検査
 と言われましたが、MMGの検査って何の問題がない人が2年に一度でしょ
乳がん既往歴の私たちは1年に一度が望ましいんですよね
 その時の主治医の返答が「手術から5年経過してるから」
「一応安心の時期に入るので、PETと両方で見てくから」でした

疑問な顔でもしていたのでしょうね
「病院によっては1年ごとの検診になるとこもあるのでね。
   診察は3か月毎引き続くわけだから」って言われちゃいました

2011年の診察経過は次の通りです
 3/25 視触診・血液検査 CEA…3.1 CA15-3…14.9 NCC-ST-439…2.6
 6/17 視触診のみ
 9/9 視触診・血液検査 CEA…3.3  CA15-3…14.2  NCC-ST-439…1.8
 12/4 視触診のみ 次回の診察時に術後6年の検査をどうするかでMMG&エコー検査を選ぶ

12月4日の時、主治医はPETに行ってきてもらおうかと言われたのですが
 何故か、エコーを撮っていないことが気になったのです
 術前に撮ってからだから丸5年撮ってないのですよ
元々、乳腺症の「豹紋パターンが顕著」で良・悪見分けづらいと言われていたのですが
 歳を取ったことで乳腺症の症状も落ち着いてきてるからと思ったのです

乳がんの検査は経過観察も含み、MMGとエコーの両方が望ましいってあったでしょ
 思い切って受けたいと言って、結果的にはエコーで左が判明するわけなのです
   後にPETは受けに行くんですけどね

この年の秋ころから、義父が時々低血圧の為か意識レベルが低くなることが続き
 訪問看護の方から「精密検査の必要性」を言われ始めました
年が明けてからは訪問入浴時に「ヒートショック」っていうのは起こすし
 かかなくても良いところを雪かきして意識低下起こして救急車

何とも落ち着かない・悪いことを暗示する冬でした

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人生初めての救急車要請、いや~焦るものですね
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個別記事の管理2013-12-22 (Sun)
みなさんは「患者会」というものに入っていますか?
 私は、全国展開のものと通院中の患者会に入っています

全国展開の方には、右の手術が終わった翌年2007年に入会
 というのも、無治療のために通院以外病人らしくなく
他の人との交流とか、情報を得たくて入会しました

初年度には、同時期に入会した人とかで地区の会合にも行ったのですが
 地区の会長さんの病院関係の人が多く
派閥というのではないけど、なんとなく他院の人が行きづらい雰囲気
 を感じてしまったので会合には行かなくなりました
でも、本部からの資料とかは貴重な情報源なので退会はしていません

病院の患者会、実は右乳がんの時も存在はしていたのですが
 土曜日開催のため、当時仕事をしていたので行っていませんでした
左の乳がんの後、土曜日の楽器店教室を辞めたので
 時間的にも気持ち的にも行こうということで毎回出席しています

昨日は、形成外科の先生(K先生)の「乳房再建」についてのお話
 
再建方法にはいろいろあるとは知っていましたが
 具体的にスライドなどで詳しく説明してもらいました
ちょっと生々しい画像もあったりでしたが
 どのような状態にはどの方法がというのが分かりました
 

再建の方法としては次のやり方があるそうです
1 ティッシュエキスパンダーを用いる
2 自家組織を利用する
  ・腹部…腹直筋皮弁
  ・背部…広背筋皮弁

1のティッシュエキスパンダー方では向く人向かない人がいるとのことで
 ・下垂乳房 ・大きな乳房  ・皮下脂肪の欠損が広範囲  ・放射線治療を受ける
というような人は向かないということでした
 私は左右共に温存療法で放射線治療を受けているので「被膜硬縮」を起こしやすいので
  もし再建するとしてもこの方法は向いていないということです

再建しやすい条件は
 胸の大きさはB~Cカップ  あ~これはバッチリ当てはまるのに
 乳房下垂がない      う~~んちょっと下垂してるかな
 皮下脂肪が多く残っている ハイ!自信ありますよ 
 比較的スリム       これってどの程度?先生の主観??

こちらで再建後、ダイエットなどで痩せてしまうと
 風船がしぼむように皺ができやすいのだそうで、体型維持が望ましいそうです

2の自家組織による再建の利点は 
 皮弁の形を調節すれば広範囲・複雑な形が可能
 欠点としては、やはり健康な体にメスを入れること ですよね

腹部の腹直筋皮弁方は、妊娠を希望する若年者には勧めないそうです
 お腹で赤ちゃんを育てるわけだし、分娩時に力が入らないとね
それと、ある程度の脂肪がないとできないとのことです
 はい、腹部への脂肪の貯蓄はたくさんですし、若年者でもありませんから
  もし再建するとしてもOKですね

背部の広背筋皮弁は、皮弁が薄いからインプラントとの併用が良いとのことでした

再建の結果を左右する因子としては
 ・元々の乳房の形  ・太っているか痩せているか  等
 2次再建する場合は、癌切除後1年近くたった方がやりやすく
 化学療法を受けた場合は白血球の値が戻ってからの方が感染症を起こしにくいので良いと
  うん、こちらの条件ももう大丈夫ですね

本当にかいつまんだ情報ですので、詳しく知りたい方はごめんなさい

温存手術後、左右差や出来上がりに不満が残っていたのを
 形成外科術後本当に綺麗になっているスライドもあって
  「美」への追及が私たちの味方って感じました

腹部・背部両方の術直後のスライドがあったのですが、とても痛々しくて
 術後の長時間の体勢の取り方などを聞くと
再建された方々が大変勇気があり、また痛みに耐えられたこと
   改めて尊敬してしまいました

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願わくばもうこれ以上の手術は受けたくない私です
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個別記事の管理2013-12-20 (Fri)
2011年3月
 あの大きな災害が起こった月、私は不整脈の原因を追究したり
  3か月ごとの診察と、ごくあたり前の生活を送っていました

3月25日(金)
 PET検査の詳しい説明を聞き、視触診・血液検査のために通院
  節電のため心なし暗い病院でした
 PETの結果は当日I先生からも大体のことは説明ありましたので、確認程度
  血液検査の結果は CEA…3.3  CA15-3…14.9  NCC-ST-439…2.6
   他の検査項目はクロールというのがHマークがついていました
    このクロール(水泳じゃないのよ)って腎臓系なのは分かりますが??です
    これだけが高値になることがあるんですよね~
    先生は心配するようなものではないと、それだけです

4月5日(火)
 A病院で「冠動脈CT検査」を受ける日
  義父・義母をデイサービスに送り出し
  10時に服用する薬は「眩暈など起こすかもしれない」ということなので
   早めに家事を済ませ、きっちり10時に服用
  と思ったらデイサービスから「おじいちゃんが発熱しています」と
 心臓の動きを遅くするための薬を飲んじゃって、検査受ける気満々なので
  今更義父を迎えに行って検査をキャンセルなんて考えられません
そんなことをデイサービス先に話したら、罹りつけ医院に連れて行ってくれると
  ありがたや~~ M先生に連絡して検査後に迎えに行くということに
   といっても午後2時過ぎでいつもとほとんど同じ時間になっちゃいますが
   
それにしてもどういうタイミングで発熱するのかしら?
3月11日のあの時も、二人とも発熱で、M先生の所で揺れていましたけど
 で、先生や看護師さんたちとで「大きいよね~」「震源地は何処??」ってやってても
  二人は普通に座っていましたっけ、分からないということはある意味強いです

肝心の私の検査は、脈拍が規定の回数に中々ならず
 深呼吸をしたり、何も考えないようにしてみましょうとかやってもダメ
早く検査を終わらせたい私&技師さんたち
 焦れば脈は上がりますからって言われても、ついつい考えちゃったり焦っちゃったり…
30分近く経って「心臓の動きが穏やかになりましたから始めます」 ふ~~っ

結果は、冠動脈はつまりも、ひねりも見当たらず程よい太さで機能している と
 胸元(のど元)の閉まる感じは、やはり更年期以降に出やすい症状であるが
  頻繁に出るというわけではないので、他の原因かもしれない
次に考えられることは「逆流性食道炎」でも似たような症状を訴える場合がある…

結局、私の冠動脈はこの時点では異常がない、続いて症状が出てきたら他の検査
 胃・食道が荒れていないかも調べてみても良いかな~って
リラックスする体勢の取り方とか深呼吸するってことも大事といわれました

キューってなる時間が強くて短いと「狭心症」→救急車
10分以上も同じような痛み(増幅無し)が続く場合は、まず深呼吸→収まらなかったら病院
 ということに落ち着きました
更年期以降の微細な血管が詰まるという症状は比較的新しい考え方なんですって
 女性でこういう症状が出た人は婦人科の先生に相談すると良いのだそうです
  私はその後症状が出ていないので、まだ婦人科の更年期外来にも行っていません

こんなことをしている内に、次の3か月毎診察日が来てしまいます

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個別記事の管理2013-12-19 (Thu)
術後4年目検査からPETでの精査となったので自宅から30分くらいのI病院へ
 いつものS病院は1時間だから、近い近い!
それに、義母が1カ月くらい入院していた病院だったので
  勝手も知っているので、初めてとはいえ落ち着いた通院

大がかりな検査なのか、費用が違うせいなのか
 とてもゆったりと内装もこだわっているところに案内されて
注射後には水分を摂ったりしながらソファーベッドで時間を過ごし…

点滴とかで具合が悪くなることもなく、スムーズな検査
 結果が出るまではドキドキですが結果もOKだったので安心できました

この検査を受ける前に、PETで何が分かるか・どのように画像に映るか
 ということを説明して貰ったのですが、
その例として「こちらの施設で顕かになった病巣です」と言ったきり
 I先生が少し固まってしまったのです
そうです、乳がんの画像だったのですよね、なので私の方から
 「これって場所的に乳がんですよね?これで何センチくらいですか?」と
  先生、いいんですよ、そんなに気になさらなくても
見せて貰った物は1センチ前後ということでしたが思った以上に大きく
 かなり明るく光っているように映っていました

PET検査も異常なく安心していたら、また、あのキューっとなる感じが
 今度なったら心電図とかを撮った方が良いと言われてもいたので
義父・義母のかかりつけというか、一番近いお医者さんのところに
今までは付き添いでかインフルエンザとかでしか行かなかったのに
 こういう時って乳がんの既往症を伝えた方が良いのかな~と思って伝えると
   ちょっとビックリされてしまいました
そうよね、いつも元気そうな顔でしたもの

心電図を撮ってもらうと、「不整脈」が出ていると
 何回か症状が出ているので大きな病院で調べて貰ったほうが良いと
キューってなった時に「何か変わったことなかった?」と聞かれても
「掃除機掛けてましたけど…」「お祖父ちゃんお婆ちゃんとは?」「いつも通りでしたけど…」
「介護している人は知らず知らずストレスにさらされてるからね~」って
「いや~、先生そんなこと言ったら毎日キューってなりますよね」と皆で爆笑

ということで循環器では実績のあるA病院を紹介して頂き2011年の2・3月は心臓です
この時は罹りつけのM先生の所で撮った心電図という証拠品があったので
 問診などから、「冠動脈CT検査」を受けることに
日ごろから脈が速く、多い時は90とか打っていたので、検査のために
 脈拍を少なくする薬を飲んで、3時間後にCTで動き・つまり具合を診るそうです

そうなると時間が掛かるので、義父・義母をどうするかということを念頭に予約
 この頃にはデイサービスにも通い始めていたので
こんな時に使わない手はない!とその曜日を選んで決めました
 本当はね、貴重な日だからのんびりできるのに~~仕方ないですね

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不整脈にも心配ないのと心配なのがあるんですって
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個別記事の管理2013-12-18 (Wed)
相変わらず、p53抗体が高値を示している2010年夏
 乳がんの他の検査、といっても市の検診受診でですが
婦人科・胃・大腸の検査を受けても全て異常なし
この結果はある意味喜ぶべきことなんだけど
 画像に映らない大きさなんていう言葉が頭をよぎります

一般的に経過観察でこのマーカーを調べることはないと聞くと
 じゃぁ、なぜ調べたのかな~と気になるし
0~1.3が基準値の所を2.7もあるとなると絶対異常でしょと思っちゃいますよね

7月9日(金)なんと!誕生日  の診察日
 質問はこのことしかありません
S先生「う~ん、ちょっと高いけど…様子見だな」
 私「でき初めの時に高値を示すってありますけど。検査では異常なしですが」
S先生「何だよね~(もごもごと)ちっちゃすぎるとね(もごもご)」
 まあ、解決的な答えはいただけませんでした
それと、CEAが検査項目から外れていたので質問したら
 「保険上検査項目は3つまでとなっているので、安定してるし
   特異マーカーじゃないのでちょっと省略した」とのことでした
でも、CEAが今まで1代だったのに3代になってるんですけど

この時、久々に胸の張りが左側に感じたので伝えました
右乳がんが分かるまで、生理前など右側が張っていたので心配でした

結局、マーカーは高かったけど治療する事柄もないので3か月なにも無し

10月1日(金)3か月毎の診察日 視触診・血液検査
視触診では異常なし、左胸の張りも乳腺が触れるしMMGでも乳腺がはっきりしているためと
 後日郵送されてきた検査結果は
  CA15-3…14.9  NCC-ST-439…1.8  p53抗体…1.25

一番心配していたp53抗体が基準値内に収まりました
 それは嬉しいことなんですけど、なんで下がったのか不明です
この後、p53抗体は検査項目から外れて、CEAが復活しました

後に左側乳がんが発覚するのですがその時に、あの時下がったのはマーカーの性質で
 癌細胞が多くなり始めたから下がったのかな
マーカーはきちんと「体の中で癌ができ始めていますよ」と告げていたのかな
 こんな会話も左乳がんの時に先生としたのですが
「そうなのかな」となんとも歯切れの悪いというかなんというか
  何のために調べたのかが分からず仕舞です →プチ不信かな~

3か月ごとの診察というのは時の経つのが早く次回は術後4年目検診
 この時から全身精査はPETで行うようになりました
S病院にはPETの設備がないのでM市のI病院に行ってもらいますと言われましたが
 私にとってはこちらの方が自宅から近く、義母が倒れたときに入院した病院でもあったのです

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ちょっと不信感を抱いてしまうってことありませんか
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個別記事の管理2013-12-17 (Tue)
術後ほぼ3年を迎えた2009年10月
 初めて調べたp53抗体という腫瘍マーカーが基準値を超え
このマーカーの精密度が更なる不安を呼んでしまいました

術後のフォローアップはどの程度行うかということに
「再発して症状が出てから治療を開始しても予後は変わらない」
「検査に次ぐ検査をしても再発するときはしてしまう」
なんて、患者側からすると冷たいような考え方もあるみたいです

私、このマーカーの異常値を知った時に、正に「調べなきゃよかった」と
 思ってしまいました。
知らなければ、CT・骨シンチでは異常がなかったのですもの
診察は3か月毎なので、次の診察日まで不安で、何かと自分で視触診

年が明けて、2010年1月8日(金)
待ちに待った診察日、この日はMMG検査も受けました
 MMG では異常が見られず、ほっとしたのもつかの間
後日送られてきた血液検査の結果表、p53抗体が更に上昇!
 なんと2.7 基準値の2倍以上です
もう心配で心配で、CT・MMGで異常なしでもそれに映らないような小ささってこと

ここでまた、術後の治療の際にお世話になったF県のN先生の質問箱にメールを送りました
 
N先生からは、
「マーカーとしてはこの抗体を定期的に見るということは一般的でない
  他の検査で異常なしなら経過を落ち着いてみていきましょう
   また、 一般的に画像診断には限界があります」   とご回答いただきました

そうですよね、画像に移るのはある程度の大きさになってから
 本当に小さい・まさに生まれたての癌は、画像に映らない場合も多いのよね

とはいえ、何も対策を講じることもなく
 ひたすら次の3か月の診察日を待つのみでした

こんな時、ホルモン治療とかができてれば、治療しているっていう実感が持てて
 「やれることはやっているから」という自信にもつながるんでしょうね
無治療・経過観察といのは、体にとっては服用していないので楽かもしれませんが
   心情面では辛い時も多いのです


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心配はいつも・いつまでもつづきますよね
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個別記事の管理2013-12-16 (Mon)
時々キューってなるという、不安な症状がパタッと出なくなった
 2009年夏、診察は3か月毎、視触診はその都度でも
  血液検査は6か月毎受けることになります

「溺れる者は藁をもつかむ」ではないですが
  病気になっちゃったのはしょうがないとして
 これ以上悪くなりたくないというのが人情
そこで、「葉酸はガン征圧に効き目がある」なる情報を
 N大医師のHPで仕入れたので、そのことについて質問すると
「現時点では不確か。サプリは勧めない」とにべもないお答え
 だって、何も治療していないので不安なんですよ~

余りにも、ちょっと調べてはすぐ質問するのでうるさいと思われたのか
 10月の診察日、ちょっと早めになってるけど
  術後3年検診、CT・骨シンチを受けるときに
「比較的新しい腫瘍マーカーなんだけど……」と
p53抗体というものを調べてみようかということになり
 血液検査で調べられるというので、軽~~い気持ちで受けました
 
いつものように、結果が後日郵送されてきて
 CT・骨シンチは「異常無し」という所見、ほっとしますね
血液検査の結果は?と見てみると
 なんと!p53抗体がHマークがついているではありませんか
この抗体の基準値は 0~1.3というのに、私の値は1.88と高値

もう、またまた調べまくりました
 そうしたら心配になってきてしまうことばかり……
この抗体は
 癌細胞をもつ人の体内だけに作られる抗体
 早期がんの診断マーカー
 2007年に、大腸・食道・乳がんに適応
                     となっていました

更に、CEAは健康な人でも、喫煙・高齢で要請になることがあるが
 このマーカーはそのような偽陽性ということがない
これって、このマーカーの診断は確かということですよね
主治医の「所見」には
 一部軽度の異常が見られますが、経過観察しますとありましたが、心配で心配で・・・

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このマーカー、侮れないということが後に分かります
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個別記事の管理2013-12-15 (Sun)
術後2年検診も無事すんで、ちょっと安心していた2009年春
 相変わらずの主婦業+介護と楽器店教室も自宅教室も
   新規の生徒入会で忙しくしていました

そんな時、胸というか首元が「キューー」って締め付けられるような違和感が
 以前にもあって、その時にホルダー心電図までとってみたけど
異常無しということで、その後は無かったのに
 この時は頻繁に起こるようになりました

これって、「苦し~い、死にそう」というのとは違うんだけど
 本人的には「大丈夫かしら」とかなりの切迫感があります

3か月毎に受診してるから、なんでも相談しちゃえとばかりに
 4月の受診日に「キュー」って締め付けられるんです
  「なんか、首絞められるみたいに」と訴えると
「外科の専門じゃないから、循環器に紹介しよう」と言ってくれて
   ま、私の思うとおりの展開に(笑)
新しくかかるとなると時間的にロスすること多いですものね

循環器のS先生(イニシャルS多いですね)に紹介して頂き
 エコー・ホルダー心電図・負荷~~試験を受けました

その結果、「異常なし」で家庭環境の話とかになって
 引っ越したこと、要介護者がいること(それも二人!)
  家事の他に仕事していること(これは楽しいことなんですけど~~)
等から、ストレスによる症状ではないかということになりました

それと、更年期以降の女性(はい、しっかり当てはまります)は
 微細な血管に血流が悪くなってこのような症状がおこることがあると
それを調べるにはちょっと大がかりな検査になりますけど~
 この話をすると症状亡くなる人も多いですよ~ということでした

「大がかりな検査」って嫌だわ~って思ったのでその時は受けませんでした
「ストレスを多くしないような生活を送りましょう」と……難しい!

この世界に、ストレスがなく暮らせている人っているのかしら??
 大体癌に罹っていますっていうことだけでかなりのストレスですよね

結局、先生のおっしゃる通り、この年はその後症状も出なくなるのですが
 後年また同じ症状が続いて、この時は検査を受けました

とはいえ、乳がんの方の経過観察・血液検査は
 CEA…3.3  CA15-3…15.0  NCC-ST-439…1.4
他の検査項目も白血球値がちょっと低かったけど他は基準値内という結果でした
 ちょっとCEAが上がっています、本人上がったことにビビりますが
先生的には「基準値内だからね、問題ない」ということでした


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赤ちゃんでもストレスがあるんでしょ、ない人なんていないとおもいません?
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個別記事の管理2013-12-13 (Fri)
2008年10月31日(金)
義父の退院に伴い怒涛の日々を過ごしながら
 自分の3か月検診の日になりました
3か月ごとの診察なので、次の受診日までに術後2年を迎えます
 ということで、術後の検診の相談

考え方として「検診を小まめにして再発・転移を小さい内に見つけて治療に当たっても
 症状が出てから治療を始めても予後に変わりは無い」というのがあり
病院によって、あるいはDr.によって考え方が違うのだそうです

S先生は、「早く見つけても~~って考え方もあるけど~~どうしようか」と
 見つかってまた治療というのも嫌だけど、何か異常があっても気づかずにそのままにしておく
   という根性もありません
ということを伝えたら
「じゃ、とりあえずCTと骨シンチを受けてもらうか」となりました
この時に「私は受けません」と言えば精査しないこともあるのかしら?
 他の人も大体私と同じ検査を受けているみたいです

MMGとかエコーは良いのかな??と聞いてみたら
S先生「MMGはこの次の診察日に予定している、エコーは……」と術前のエコーを診て
S先生「乳腺症による豹紋パターンが顕著だからあまり意味ないかな」と

検診で引っかかった時も、エコーを診てくれた先生が「良性」と判断したことの理由が
 乳腺症の特徴である「豹紋…」がはっきりしていたからでしたもの

ということで、CT・骨シンチは11月10日、MMGは年明け2009年1月23日に受けました
 CT・骨シンチは異常無し、MMGも昨年に比べて白いところが薄くなっている
  ということは乳腺症の症状が収まっている=年を経ているということでした
血液検査の結果も、CEA…1.9 CA-15-3…13.8 NCC-ST-439…1.5 異常なし
 他の検査項目についても、全て基準値内!という素晴らしい結果  

腫瘍マーカーに反応しない場合もあるとは知っていますし、
 数値に一喜一憂しない方が良いと言われていても
  やはり基準値内・異常なしということは安心の材料になりますね


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今日は13日の金曜日、不吉な日とかって信じますか?私は一応気を付けます(笑)
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検診 * by rommy
ともりんさん、こんばんは。

「検診を小まめにして再発・転移を小さい内に見つけて治療に当たっても症状が出てから治療を始めても予後に変わりは無い」

私の主治医もそう言ってました。だから、検診は「2年の間に1回はやるけどね。」だそうです。

でも、やっぱり不安だから、3ヶ月に1回は・・・お願いしてみようかな、と思っています。
そんな心配よりも、まずは腕のリハビリをがんばらなくちゃ!なんですが(^^;
これがなかなか自分だけだと甘えてしまって、さぼりがちになってしまうんですよね。反省・・・。
ともりんさんは、腕、普通にあがりますか?
今しっかりやっておかないと固まってしまう、とか言いますよね。



Re: 検診 * by FC2tomorinn
こんばんわ、rommyさん。コメントありがとうございます。
退院後の生活はいかがですか?今日は本当に寒かったですね、傷口は痛まなかったでしょうか?
術後の検診って、Dr.の間では同じこと言うのかしら?(笑)他の方のブログでもこの話題が書かれていました。
私も何もしないことが不安だったので、血液検査は半年ごと、全身検査は一年ごと、という予定でいたのが、全身検査をPETにしたことで、一年半毎に変わって、その時に何か予感がしたのか「エコーを撮りたい」と言って、結果反対側のが発覚したのです。
これを考えると、小まめな検査って必要ですよね。
私、主治医が定年退職するので、これを機に転院するかもなので、これから先がどうなるか心配です。今は、希望通りにして貰ってるのです、恵まれていますよね。
腕は、右も左もセンチネルリンパ生検で済んでいるので、術後直後からまっすぐ挙げられました。リハビリとは縁がないけど、大事にしすぎてもいけないようなことを他の方に言っていました。
入院中から毎日リハビリの予定が組まれて、シビアにやられていたみたいです。
rommyさんは腹部もあるので大変そうですね、無理のない範囲で焦らずやってくださいね。

個別記事の管理2013-12-12 (Thu)
今日は朝から雪がチラつきます、寒いです、やはり天候の変わり目には右わきが主張しますね
 すっかり悪くなってしまうと痛みも消えます、不思議~~ 皆さんはいかがですか

さて、前回の義父の顛末のつづき…
導尿カテーテルは入ったままでも、硬膜下血腫の方は回復したので
 病院としては治療の術が無いので退院できますと言われたのが2008年9月

退院するまでに、介護診断なるものを受けるのですが
 病院にいるととんでもない状態なので担当のDr.は
「要介護3、になってしまいますが」と いきなり3ですか
確かに、一般常識なことがことごとく欠如していたので仕方ないですね~
 こういう時って重い方が良いのかな?そのような口ぶりだったけど??

先ずはケアマネジャーさんについてもらわなければいけないということなので
 病院のソーシャルワーカーさんと相談したり…あ~忙しい
ケアマネさんに来て貰ったら「おめさんは、なんだ!」といたくお怒りな義父
 自分がどういうことになっているのか分かっていないので仕方ないですね

カテーテルが入ったままなので、入浴時に感染するといけないから
 入浴介助をどうするかということで、訪問看護に来てもらうようになりました
毎週1回、体調管理・カテーテル管理・入浴補助が主な看護です

そんなことが決まったので、いよいよ退院
 慢性硬膜下血腫の入院は2週間程度と言われていたのに実に2カ月近く
退院することになって、きっと病棟の皆様がほっとしたことと思います

病院では非常識なことを連続やっていても家ではそんなこともなく
 体力、特に足の筋力が落ちてしまったのに
「田んぼが~」「りんごが~」と外に行きたがるのです
入院する前は水稲とリンゴ栽培をやっていたので無理もないのですが
 私たちができないので全てJAに頼んで人に任せることにしたのも受け入れられず
  自分以外は信用できないのか、毎日見に行きたがって困りました

退院してまず「歯」を作って貰わなくっちゃ
 歯をほとんど失くしてしまったので、半分は倒れたときに、残りの半分は
  「グラグラしてる」って抜いてしまったんですよもう!
歯医者さんは車で40分もかかるところ、ほら、自分の気に入ったとこじゃないと
 あとあと文句言われてもね~嫌でしょだから希望に沿ってあげたのですが
早くに入れてもらった方が食事が摂りやすいので、ほぼ隔日午前中の仕事
 日当貰うとしたら、すご~~い額になりますよと主人にチクチク
歯がないので食べられないから、食事はミンチ状に
 フードプロセッサーを購入(今まで必要なかったの)してまたハンストされても困るので
   砕く前の物をみせてから、安心して食べてもらいました

10月は歯医者さん通いで終わったようなもの
   気づけば自分の3か月検診の日になっていました

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忙しい時って時の経つのが早いですね
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個別記事の管理2013-12-11 (Wed)
昨年の今日、2012年12月11日は抗癌剤治療の最終投与日
7月17日から実に半年、FEC×4→T×4というスタンダードな組み合わせ
 自分で納得して受けると決めたけど、正直途中でやめたいときもあったわ
でもね、何せトリネガですから、これしか治療方法がないので
 ブータレながらも最後まで頑張りました

初回投与は入院してということで7月17日(火)入院・FEC投与
 翌日18日は、長男夫婦が入籍したりとある意味忘れられないわ
  (この子たち、入籍は夫の誕生日、披露宴は妻の誕生日だって
Tの時は10月9日(火) この前日は音楽教室発表会 ヨレヨレ~~
 でも、自分の都合と年内に終わらせたいという希望で行きました

全部で8回、自分で運転して帰って来るなんて無理だと思ったので
 いつも主人が半日休んで(中には一日・おさぼり)連れて行ってもらって
普段いろいろやってるので、ある意味当然よね でもありがとうでした

最終投与から一年経った今の体調は良好だと思います
 
副作用でいろいろ説明があったけど、殆ど残っていないと思います
 唯一の居残りは……もちろんというか、お髪 しつこいわ

(1)薬剤アレルギー
    アレルギー体質なので、起こるかな~と心配したけどTも無事投与
     血圧が下がるくらいの症状でした。これは貧血との相乗効果かな?
(2)血液毒性
   ・白血球減少は毎回3000を切り、グランのお世話になりました
     酷い時は600台をマーク、昔なら入院と脅されたっけ
   ・赤血球減少も起こり、FEC2回目にして貧血 でも、服用はなし
   ・血小板減少のためか、鼻血がツツーーって出ることもありました
(3)消化管毒性
    イメンドさんが良く効いたのか、吐き気・嘔吐一切なし!
     ゲップが出るくらいで済みました、これが一番予想外で良かった
    便秘にはFEC一回目の時に苦しめられたわ~
     便秘薬の使い方が分からなくて副作用をなだめる薬で副作用
    口内炎はできなかったけど、口の中が荒れたのでうがい薬で常にうがいしていました
(4)脱毛・倦怠感・神経障害
    はいはい、これが一番曲者ですわ!
    倦怠感は薬剤によって出る日にちが違ったけど、そんな時はもちろん無理しない
     「今日はダメ」宣言をして、ごろごろ~たまったDVD鑑賞の日にしていました
        人間埃でどうこうなるものじゃない!
    神経障害は味覚障害がありました
     何を食べても塩味、水もしょっぱい…餡の物はOK! 和菓子どんと来い!でした
      料理は普段から適当な味付け、手の加減でしていたので私は??でも
       食べてる主人たちは「いつもと変わらない」と
     ひょっとしたら普段からおかしな味付けだったのかもね~
    脱毛は、説明通りきっかり2週間後におきはじめ、几帳面でなくても良いのにね
     現在全体的に薄い感じです、見えないところは別にいいけど
      眉毛・まつ毛は髪よりは早く戻るとか説明されたけど
       今も眉毛はすっぴんならOKだけど、ファンデ塗ると「どこ行った~」です 
     髪は普段は脱ヅラしていますが、公のことろはヘアピース着用
      だ~~って、頭頂部がスッカスカですもの
       髪質もチリチリって感じでドライヤーで伸ばしています
     FEC→Tの人の7割が薄毛に悩む、しかも2・3年と知って半分諦めてしまいました 
      要するに、気長に時が来るのを待つしかないのですね

その他、肝・腎・心・肺は異常無く終わりました
 ちょっと心臓がドキドキしたものだから訴えてエコー撮ってもらったのですが
  「別に異常ないですね」で。「これくらいは普通でも起こるかな」ですって 
FEC初回の時、エピルビシン直後の血圧測定を点滴真上からやられて
 赤く腫れたし、血管痛も起きちゃったけどいつの間にか治っていました

私の場合、「抗癌剤治療」というイメージに比べると
  思ったより楽に治療を受けられたなという印象です

私がこの「ブログ村」を訪れるようになったのも、 
 治療を受けるときはどうなのかが知りたくてでした
とても参考になったし、励まされもしました
副作用とかは人それぞれなので、これから受ける人・現在進行形の人
 ちょっとでもおかしいとか、辛いと思った時はドンドン訴えて、乗り切ってくださいね

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個別記事の管理2013-12-10 (Tue)
交通事故から1カ月以上経って「慢性硬膜下血腫」を発症した義父
脳に溜まった血を抜くべく手術したのに、せん妄のためドレーンは引きちぎって抜き
 倒れたときに歯を折ってしまったので食事が流動食になり
あっという間に手厚い看護の対象になってしまいました
流動食になると食材そのものや、料理の完成品も粉々にしてあって不味そう
 元が分からないので「何だかわからない」と食欲も出ないのです

一番困ったことは、麻酔薬による「せん妄」で
 普通は2・3日すれば落ち着くと言われたのに
「アルツハイマー型認知症」もあったので一週間しても戻りません
歯が殆どなくなってしまって、「何だかわからない物」を食べずに
 ハンガーストライキをやっているような状態なので栄養は点滴で摂るしかなく
様子を見に行くと大概ナースセンターに置かれて
 点滴の意義が分かっていないので「今日は(輸液)1本抜かれました」とか
  ベッドにいるから良いかと思ったら「ピューッ」って目の前で抜かれたり
勝手に歩き回ると危ないということで
 ベッド周りには「オットマッタ」なる踏むとピンポンと鳴るマットを敷かれ
  病室に付いたらまずこの電源を切ることからでした
   間違って踏むと、速攻で看護師さんが飛んできます

家庭に戻ると、いつもの環境で良くなることがあるということで
 一時帰宅することになるのですが
導尿カテーテルも抜けないままでいたので、どうなることやらでした

一時帰宅によって「せん妄」は症状が収まったのですが
 相変わらずカテーテルは入ったまま

導尿カテーテルの抜けない原因は「前立腺肥大」
 「今まで症状なかったですか?」と聞かれても別居していたので???
義母に聞いても、義母自体の記憶が最近の物が抜けてしまって
 「さあ。しらね~」の一言
義母の記憶は戦時中(分かります?)華の女子高生の時が一番残っていて
 「今日」の記憶は曖昧なので……仕方ないですね
義父の弟が前立腺肥大の手術を受けていたので
 遺伝的には可能性が高いでしょうねという判断でした

カテーテルが付いたままだと介護が大変になるので
 家族としては何とか抜けるようにして貰いたいのですが
本人「トイレに行かないで良い」なんてことをのたまって
看護師さんたちが必死に指導しても「今は良い」と
 この一部始終を見てるのですが、やっぱり判断力がないというのは困りますね

こんな風に2008年8月は忙しく、自分の病気は忘れているような日々でした

結局、服薬で改善を目指しても効果がなく、カテーテルは今現在も入れられたままです
しかも、「病院で勝手に入れて取ってくれない」とまで言ってるんですよ
 さすが、認知症というのは困ったものです

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右わきが主張するので、強めにマッサージをしたらおとなしくなりました
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はじめまして * by moko☆
以前コメント頂いたmoko☆ですm(_ _)m
コメント頂いたのに過去記事を読んでいるうちに
コメント遅くなっててしまいすみません!

右は8年生ということなのに
右の治療に左の治療…
合間に怒涛のように様々な事があったのですね(>_<)

しかも、脳疾患を持つ家族の介護は
とてもストレスがあるとおもいます。
しかも2人となると相当大変でしょうね…。

ブログまたお邪魔しますね☆

Re: はじめまして * by FC2tomorinn

moko☆さん、コメントありがとうございます。
その後、無事にFECを終えられたようで良かったですね。半分終わりましたね。
これからドセでしょうか、頑張ってくださいね。
そうなんです、右は手術と放射線だけだったので比較的に楽でした。心配は尽きませんけどね。
右の時は何も分かっていない状態で、左の時はそれなりに学習した後だったので、こちらの時の方がガーーンでした。
幸い義父母は動けるので今のところは口で「ああしろ、こうしろ」と私が言ってます、強い嫁です(笑
これが更に進むとどうなるか、どうするかですね。
ストレスと言えばそうですが、考えても始まらないし、適当に合わせていくのが良いと脳神経科のDr.に教わったので、適当にあしらって…時に爆発もしています(笑
二人で大変でしょうといわれますが、家の場合、二人でいるから良いということが多くて、お互いに「自分の方がしっかりしてる」って思っているので、そこを上手く利用しています。

寒い中、お仕事・通院治療と大変です。お風邪などひかれないように気を付けてください。
またいらしてくださいね、私も伺いますね。

個別記事の管理2013-12-09 (Mon)
長男の入院騒動も回復→帰省と事なきを得た2008年8月初旬
留守は夏休み中の主人が踏ん張ってなんとか過ごしていたみたいです
しかし、入院中の義父は、術中の麻酔のせいか「せん妄」が酷く
病院からの呼び出しが毎日ありました

私たちも手術中に導尿をして貰いましたよね
その管が抜けないということもあって
 一段と義父の理解の妨げになっていたみたいです
あの管が入っている感覚は嫌でしたものね
 何とか抜いて貰いたくて頑張ってトイレに行った覚えありますもの

更に「せん妄」による障害で、頭の左右にドレーンを付けていたのに
 それさえも引き抜いてしまって
私、この行為、聞いただけでもゾゾッとしてしまいました
 だって、不要物の排出がどうなるんだろうですよ、体の中に残るんですよ
幸い、頭部のドレーンは、それまでに排出が順調だったということで
 新しく入れなおすということもなく済みました

この、頭部の状態が収まった時に見えたものが
Dr.「顕かな脳萎縮がみられます。年齢による萎縮とは異なります。
病名はアルツハイマー型認知症です。今までの様子でなにか変ったことはありませんか?」と

今までは別居していたので、具体的なことは全く分かりません
どんなふうに暮らしていたのかも、何を食べていたのかも知りませんでした
「今後は介護が必要になってきます」と言われてもまたしても???です
この病気について、名前は知っていてもどんな病気か全く知らず
 家族放心状態という感じでした
また、導尿管が抜けないということも介護度をあげてしまうのです

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今日は急に寒くなったためか右わきに違和感があります
左ちゃんは良い子でいるのに、8年生の右ちゃんが時々存在をアピールします
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個別記事の管理2013-12-08 (Sun)
義母の転院の日に、交通事故を起こした義父
 一方通行を逆走して、軽自動車のサイドにぶつけ
相手の方の車が水田に落ちたので、それがクッションになって
 奇跡的に首をひねるくらいの怪我で済みました
でも、水田の引水水門を壊したりしたので弁償金が発生
 しかも、本人「悪いことはしていない」というので
「在宅起訴」というか、「お歳もお歳ですし、この次大事故起こしても…」と
指導を受けて、免許返上することになってしまいました
 まぁね、大事故起こされると困りますから
その後の、警察への送り迎えは私の仕事 忙しいのに~~

義母はリハビリ入院をきっちり1か月で卒業し自宅に帰ってこれました
もちろん自立歩行できます、が、認知度は低くなってしまいましたね

そんな大騒動があった翌月、2008年8月は
 外科の3か月毎検診と婦人科の術後1年検診の月
1日(金)外科
 視触診と雑談  体調も良いのでこんなもんでしょう
 引っ越したので受診時間を遅い枠にして貰いました
4日(月)婦人科
 腹部エコー検査、乳がんがらみで子宮がん(頸癌・体癌)検診受診
 結果は郵送で、「両方とも異常なし」
 今後は、かかりつけの婦人科で結構ですと追い出されました~

婦人科検診も無事に済んだ翌々日
義父が「体調が悪い」とかかりつけの医院に一人で行った後
医院から「出血を起こして倒れたのですぐ来てください」と連絡があり
 結局救急車でM病院に行きました
吐血かと思ったらしいのですが、「横になっていてください」というのを
 起き上ってしまって転倒して出血を起こしたらしいのです
M病院で全身検査を受けたところ「慢性硬膜下血腫」が分かりました
 交通事故の時に、頭をぶつけていたことが原因かなということで
そのまま入院、翌日の7日(木)に手術と決まりました

このころは楽器店教室が月・火・水・土とみっちりだったので
「おいおい、忙しいのにな~」って思っちゃって、ごめんなさいね

無事に手術もすみ、病院にお任せということになってほっとしていたら
今度は娘から「お兄ちゃんが急性胃腸炎で入院した」と
こちらには速攻で出かけました
長男は子供の時から胃腸が弱くて、顔を見るまで心配です
長男と長女は大学が近かったので広めの部屋を二人で借りていて
 こういう時みたいに具合が悪い時はお互いに看病し合っていたみたいですが
さすがに入院となると、母の出番です
長男は一泊入院で済んだので、そのまま一緒に帰省してきました

義父の術後の経過は良かったのですが、新たな問題発覚でそれが今に至るです 

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病気のことを忘れていられるって幸せなことですよね
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個別記事の管理2013-12-07 (Sat)
12月7日は、7年前人生において初めて手術を受けた日
 盲腸とか良性の物でなくて、いきなり温存か全摘か未定の手術
手術日から〇年と数えると、今日は8年目、8年生になりました
 8年生というと、学校でたとえると中学2年生、反抗期なお年頃
でも、私は素直な生徒だと思いますよ~ 言いたいことも言うけど どっちなの

右胸は、手術と放射線治療だけだから、副作用がきついような治療は受けていません
 そうはいっても当時はそれなりに迷ったりでした
トリプルネガティブタイプは、比較的早い時期に再発・転移を起こしやすく
 5年経ったらその危険性は低くなる なんて情報を得て
じゃあ、5年経って何ともなかったら良いのよね、5年・5年と思っていたので
 その5年が過ぎたときは、ちょっと安心モードに入っていました 

しか~~し、7年生になったら、左かいってなっちゃいましたけど

そんな、無事に5年を迎えることに専念していた2008年
5月に脳幹出血で入院した義母も、リハビリのためにリハビリ専門病院へ転院することに
初期治療を受けた病院I病院からK病院へ移る日
「どうしても院長先生に挨拶する」といって聞かない義父、なんでも知り合いだそうで
転院手続きは私たちでするからと言い含めたつもりだったのに
 気が付いたら自分の軽トラでI病院に向けて出発していました
病室に行くと「おじいちゃんが車ぶつけたらしい」と義母
 でも、本人の姿がないから?と待っていると
病院の事務の方が「院長に会いたいというのですが、院長不在でして…」と
 義父を連れてきてくれました もう~ だから言ったのにね
見ると、全身ほこりまみれ本人に聞くと
 事故を起こしたことは確かで、事故現場に行って確かめることに
転院するためにそこで別れたのですが、この時「ひき逃げ事故」として
 管轄署内に通達が(緊急配備)出ていたのです

義母の転院は滞りなく済み、留守にしていた自宅の留守電を聞いたら
 警察署から「ひき逃げ犯」として身柄を預かっている(拘束ともいうわ)と

幸い相手の方の怪我もなく、おじいちゃんも「どこも何ともない」と言い張り
 取りあえず双方検査だけは受けてくださいと言われたのですが
困ったことに、本人が「何が悪かったのかわからない」という状況で
 「取り調べ」なのに「話を聞いてくれた」と受け取って……

この時の状態が病気によるものだったと気づくのはこの後です

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7年前の今頃は手術中、術後麻酔からなかなか醒めなかったらしいけど
 麻酔の効き目ってお酒に強い・弱いとか関係あるのでしょうか??
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個別記事の管理2013-12-06 (Fri)
7年前の今頃は、本来の病室にやっと落ち着くことができたころです
 手術方式が「開けてみないと分からない」というのは不安でしたね
なんとか乗り越えて、こうして元気に過ごせてることはありがたいです

2008年5月末に「脳幹出血」で倒れた義母
 奇跡的な回復をみせ、翌々日には一般病室に移れました
ICUの面会は完全予約制、しかも人数制限や靴などの履き替えで 
 制限されることが多かったです
で、義父がいろいろ「おれ流」を通すのでヒンシュク~~
後から考えると、この時既に一般常識関係ないというところが
  現在の病気の症状として出始めていたのですね
薬剤の説明や管理栄養士さんからの栄養指導は全て私!
 まあね、時間が自由になりますから仕方ないですが……

減塩料理の作り方とか、醤油は出汁で割って、みそは今までの半分のつもりとか
 実際私の体の為にも良いのですが、確かに薄味でした
たくさんある「漬物」をどうしましょうと思っていたら
「漬物はもってのほか、今のうちに食べない習慣になって貰って」ですって
  田舎は漬物でお茶を飲むという風習ですから…
結局捨てることにして、食べ物の神様ごめんなさい、でも体の為だからね

義母はリハビリに精を出して、歩けるようになりましたが
 認知度は低くなっていました、顔の表情も微妙に変わるんですね
でも「よくて車いす」ということと比べたら上々です

2週間後に引っ越しをはじめました、というのも毎朝毎朝義父から
「〇〇が分からない」「〇〇はどうしたらいい」という電話攻撃
挙句の果てには「長男が面倒見ないでどうする」「来ないから倒れた」と
 主人には言っていたみたいです もう、長男がっていつの時代の話ですか

「男子厨房に入らず」という世代なので、炊事はもとより
 掃除・洗濯なんてやったことがないのです
ごはんの炊き方も分からず、無洗米を買って「ここまで水入れて」
 あとはスイッチポンだけなのに、それもできないと
仕方がないので、スーパーの売り場や、コンビニの存在を教えて
 信じられないほどに自活できなかったのです

2週間後の日曜日、朝から引っ越しの準備に追われていても
 義父から「お客が来るから早く来てくれ」と
そうは言われても、すぐにはいけないとなるとまたまた電話
仕方がないから主人と子供(引っ越し手伝いで帰省中)が先に行くと
 「お客さん」って誰だと思います
な・ん・と……自分たちの娘=長女=主人の姉
 そんなのお客じゃないでしょ~~
大体、入院して2週間もしてから来る普通取るものも取りあえず来るでしょう
 長女曰く「本当にお客さんだった、お茶飲んだだけ」って
  もう、びっくりな話でしたわ


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義理の家族って言い出せばいっぱ~~い言いたいことあるわ~~
今日は乳がんと無関係ですみません、よろしかったらポチッとしていただけると嬉しいです



 
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個別記事の管理2013-12-05 (Thu)
12月5日は、7年前・2006年、右胸の手術のために入院した日
 あれから7年、左の手術やいろいろあったけど
なんとかこうして、そこそこ元気にしています

この7年、環境的に一番の変化は、主人の両親と同居したことかな
同居は子供たちが小さい時から考えてはいたので
 築100年近くの古家の建て替えも済ませていたのです
でもね、結婚後に住んでいたところが、小学校8分・中学校15分
 駅徒歩20分・スーパー自転車で10分…というところだったのに
引っ越すと、小学校20分・中学校徒歩30分、自転車通学ぎりぎりOK
 駅車で15分・スーパー自転車で行く気になりません
高校に至っては、駅が遠いので親が毎日送っていくか自転車で1時間かけて通うかと
 そんなに不便なところだったんですね
それを聞いた子供たちが「転校するのも嫌、いいことないじゃん!」と言い出して
 家は2世帯住宅に建て替えたのに、爺&婆で住んでいたのです
でも、二人とも元気だったし「気楽でいい」くらいのことを言ってたので
   「何かあっても車で40分は近いから」と
     別居してお互いゆるゆると生活していたのです

2008年5月31日(土)
長女が帰省中だったので、久しぶりにお夕飯は外で食べよう!と準備していたら
 主人の叔父から、義母が倒れて救急車で運ばれたと
3人で駆けつけると、義母の意識はなく、担当医からは
 ・脳幹出血なので手術は行えないので点滴による治療のみ行う
 ・場所的に回復しても、良くて車いす、寝たきりになる可能性が高い
という説明がありました

その時担当の先生が「ああよかった、若い人がいてくれて
 来る人来る人がご年輩だから、老老介護か、どうしようと思っていたんです」と

この時は、もうこの先どうなっちゃううんだろうと
 寝たきりの可能性が高いといわれても……
  患者本人が帰宅したいのならさせるんだろうな……
    そもそも意識は戻るのかな……

はっきり言って思考停止です
誰もが、どうすればいいか分からない、実感がないという感じでした

そもそも、倒れたのが3時ころだったのに、連絡が来たのが7時近く
 パニくった義父が家の電話番号が分からないと言って
叔父が帰宅して調べて連絡がついたということでした
 外出した後だったら更に連絡が取れない状態に
主人といい義父といい、しっかりすべきところで
 貧血起こしたり、パニくったり……血筋なのでしょうか

幸い、義母の意識はその夜遅く戻り、ろれつが回らないとか
 右手に力が入りづらいとかはありましたが
それも徐々に快方に向かって、「良くて車いす」といわれたのが
 自力歩行できるまでに回復できました

これを機に同居することになり、2週間後には引っ越しました

ところが、これはまだ序の口だったんです


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7年前は、来年のことも思えず、今日こんなに元気にいるなんて思えなかったな~
介護のグチになっちゃうときもありますが、がんばれと思って下さったらポチッとお願いいたします
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個別記事の管理2013-12-04 (Wed)
2008年2月8日(金)
術後一年検診のCTと骨シンチの結果の説明を受けることと
 マンモグラフィーの検査を受けるために受診しました
文書に「右肺に筋が見られますが、術前指摘と変わらない様相
    転移巣とは考えない」
とあったので「そんなこと聞きましたっけ?」って感じでした
「う~~ん、言わなかったかな~ 膨らみ、丸くなったりしてると
 やばいかなってのだけど、一本の筋なのでね、大丈夫です
  子供の頃の肺炎とかの名残という判断」と
私、子供の時に肺炎やったかな 母は亡くなっているし
 祖母に聞いても判らなかったのです
2歳の時に「敗血症」をやったというので、その時の名残かな??

因みに、祖母には乳がんになったということは現在も言っていません
 超高齢者(100才)に心配させても仕方ないですものね

術後のマンモは痛いと聞いていました
 はい、痛かった記憶があります
でも、技師さんが少しずつ我慢できる範囲でやってくれたのか何とか受けられました
 結果は、もちろん異状なし

経過観察のみなので、次回の診察は5月に

この間、にゃんこも1才になっていたので定期検診に行って
 避妊手術を受けると太りやすいと言われていたのが
見事期待を裏切らず「若干太り気味」
飼い主的にはそう見えないのですが、太り気味
しかも、肝臓の値もちょっと高めな奴があったので、「要注意」のレッテル貼られました
それからは、体重管理が厳しいですよ  自分には甘いけど

長女の教育実習の準備があったりとしているうちにあっという間に受診日
5月2日(金) 視触診と血液検査
 腫瘍マーカー CEA…2.5   CA15-3…14.2   NCC-ST-439…2.4
他の検査項目全て「基準値内」と。健康そのものに見えますが…患者です
CEAが基準値内とはいえ、徐々に上がってきたのですが、様子見ということでした
他には、放射線治療のあとがカサカサになって痒かったので
 治療時と同じ「リンデロン」を処方してもらいました
その後もこのカサカサ感は忘れたころに出てくるのです

そんな、患者とはいえ、落ち着いた生活を送っていた5月下旬
 その後の生活を一変させる出来事が
健康が取り柄で、お産の時にしか寝込まなかったというのが自慢の
 主人の母が、脳幹出血で緊急入院してしまいました


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正に「青天の霹靂」今までお気楽な嫁だったのに…
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個別記事の管理2013-12-03 (Tue)
前年に続き2007年も、乳がんの経過観察に加え婦人科の手術と
 病院とは縁が切れない一年でした

11月16日(金)3か月ぶりの主治医診察日
「変わりないですか?」に「はい」
 そりゃそうです、経過観察のみで薬は全く服用していませんもの

術後一年ということで、精密検査を受けましょうと
・血液検査
・CTによる腹部検査
・骨シンチ検査
の3点を受けることになりました
術後のフォローとしては十分なんですって


血液検査では一般的な物はもちろんで
 他に腫瘍マーカー、CEA・CA15-3・NCCーST-439
CT検査は特に気を付けることもないけれど
骨シンチは「幼児の世話はなるべく避ける」とあったので
レッスンのない11月29日(木)を選びました
 ところで、「ネコって幼児に準ずるかな~」とちょっと心配
でも、査薬を注射してもらってから3時間くらい待ち時間がありますよね
 一旦自宅に戻り、薬が回るのを待ってしっかり猫遊んでしまいました

術前検査の時の骨シンチは「転移してるか?」って心配で
 機械が動くのをじっと見ていましたが
この日は爆睡 人間は慣れる動物ですね


結果は後日郵送で送られてきて
前回7月の結果  CEA…2.4 CA15-3…14.3 NCC-ST-439…1.6
  11月の結果    3.3       13.9        1.6
多少の上下はありますが、全て基準値内
 こういう結果って安心できます
骨シンチも問題なく、CTも同様
ただ、肺に一筋あるということが言われましたが
 術前から変わらないから問題なしと  へそんなお話ありました
「昔の病変、肺炎とかの後遺症」とのことです
 
そして、白血球が2006年12月以降初めて正常値に戻りました
 放射線治療・婦人科手術と続いたから、戻るのも時間掛かりました
 何事もスローペースな者ですから


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今日から一回目の右乳がんのことについてに戻ります
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個別記事の管理2013-12-02 (Mon)
治療の甲斐もなく、母は亡くなってしまいました
特に最後の入院では苦しんでいる姿が多く
 少しでも和らげてほしいということしかできなかったのが悔やまれました

意識がはっきりしているとき、私によく言っていたことが
「自分でよく調べること」「良いものって言われても鵜呑みにしちゃダメ」
この二つのことです
「良いもの」というものが結果的に癌だったので殊更言っていました
「お医者さんだって人間なんだから、間違えることもある」とも
家族にしても、この点が本当に悔やまれました
あの時、もっと詳しく調べてもらっていたら……
癌ができてしまったことは変わらなくても、その後の道が大きく変わっていたと思います

母の頃とは30年という時代の差があるので情報の入り方も複雑です
今は自分で調べようと思えばネットなどで必要な情報も
 不必要な情報も手に入れることができます
どの情報を信じるかは人それぞれですが
 私は現在の「一般的な意見」を尊重したいと思っています
耳触りのいいことをいう情報もありますが
 私は「甘い言葉は要注意」と、可愛げのない性格です

私も乳がんになってしまいました、それも2回も
多分遺伝子レベルで異常があるのではないかと思います
調べることもできますが、娘がいる身では結果が出ることで
 娘にも影響してくるので、怖くて受けていません
もし、「遺伝子レベル」なら罹ってしまうのは運命なのかと思います
なら、少しでも早く見つけて、奴が小さい内に
 徹底的に有利な戦術で戦っていくしかないかと思っています

こう考えて、母が「命」に関わることで遺した言葉を遂行しています

母が乳がんの手術を受けたのも、私が乳がんの初めの手術を受けたのも49歳の時
「母親が乳がんの場合、娘世代は母世代より若い時に乳がんに罹る」
  こんな文面もありました
なので、若い時から(30代)自己検診はしていたし、市の検診も受けていました
ただ、一年間、検診を受けなかった年があって、翌年発覚したのです
その一年が無ければ違ったかというと……大きさが違うのですね
 治療法は多分同じでも、気分的には違ったでしょうね

母が亡くなってから生まれた娘は、私によく似て=母にもよく似て
 祖母・叔母・母の友人たちからは「生まれ変わり」と言われています
ということはですね、体質も似ているんでしょう
そうなると、乳がんのリスクは非常に高くなってしまうので
 20代ですが、「自己検診しろ」「検診受けろ」更に
「がん保険に入っておいて」と顔を見るたびに言っています
保険は速攻入ったみたいですが、検診も面倒がらずに受けてほしいのです


ただ、母のことを真似しないように心掛けたことがあります
それは、「決して子供の宿題は手伝わない」
私、家庭科が苦手で、裁縫とかは結構母の作品を提出したのです
 これは教育上大変よろしくない!と自分が大人になった時に思い
  子供たちの宿題は一切手伝いませんでした
こういう「反面教師」の面もあります

今56才と、母より年上になりましたが
 母が健在でいてくれたら、いろいろ違ってきたのでしょうね
ひょっとしたら、まだ「母離れ」できない大人でいたかもしれませんね


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母のことを思い出したので、母の夢を見る日が続きました
 若くて・元気な時の姿で。夢でも会えて嬉しかった
















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個別記事の管理2013-12-01 (Sun)
少しずつ回復していたように思えていたのに
7月頃からだんだんと立てない・歩けない・食べられない・痛みを訴える
 という状態になってきてしまいました

「薬を変えます」といわれ点滴の時間も長くなってきて
 ずっと同じ体勢でいるのも辛いと訴えました
むくみも目立ち、腕・足・背中をさすると「楽になる」と言いました
祖母は、朝私の主人の出勤に同乗して行き、昼に私と交代し
 夕飯を済ませてからまた病室に行くという生活でした
完全看護と言いながらも、付添は家族ならOKという曖昧さで
 夏の終わりから、祖母は病室に泊まることが多くなりました

このころから、脳にも転移が始まったためか
 母にとっては初孫が病室にいつもいるような感覚が起きたのか
それとも、一緒に居たいという希望からか
 長男が水色の靴を履いていたので、水色の何かが床にあると
「おいで~怖くないよ~」と呼んでいました
慰めに置いておいたオルゴール人形にも
 「〇〇また小っちゃい赤ちゃんになっちゃて」なんて……
だんだん、母らしくなくなっていくのがとても辛かったです

10月に入り、痛みどめの使用頻度も上がり
 もうろうとなっている時間が多くなりました
痛みどめのモルヒネが切れると、とても痛がるので
 許容範囲ギリギリの利用でした
心臓の機能との相談でしたが、できる限り痛みから解放してあげてほしいというのが
 家族の一番の希望でもありました
目もあまりよく見えなくなってしまい、手で触るのが良いのですが 
 「可愛い可愛い」と思ってくれた長男はまだ幼かったので
「怖い」というようになってしまって、母の気持ちを思うと見ている私が悲しかったです
我慢強かった母が、痛みに耐えかねて発する声が今でも思い出されます

少し持ち直したかに見えたので、交代で帰宅することにしました
 私が帰宅した10月25日早朝、治療の甲斐なく母は天に召されました


55才12日、初発の手術から6年8か月 母がしこりを自覚してから8年余り


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