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個別記事の管理2014-06-08 (Sun)
父本人は「2000年問題」が気がかり、でも、私と兄は「年賀状作るか?」が気がかり
 とまあ、何とも言えない2000年も無事迎え

その頃には、「鎖骨下栄養補給」もしなくても良いかということになって
 父は「おお、これで動きやすくなる」と喜んでいました
といっても、栄養状態が完全に良くなったというわけでなく
 「長い間刺しているのも良くないですから」というわけで
そうですよね、また感染症を起こしたら困ります

相変わらず病室に入る時の徹底した消毒は続いていましたが
 祖母(父には義母)は高齢ということで面会できなかったのが
「短時間なら良いです」と言われるくらいに回復してきていました

義理の親子といっても、40年以上一緒にいると、双方言いたい放題
 そんなのも、まるで自宅にいるかのようで良かったのかもしれません

自宅と言えば、お正月に「一時帰宅したい」と言っていたのですが
 私と看護師さんに速攻「ダメ」と言われてしょぼくれていましたっけ
雑菌だらけの世界に行ったら、また感染症おこしますから
 それに、お正月は私は嫁ぎ先に行くことになってるし
普段一緒にいない兄一家では勝手がわからないから、勝手とは、父の扱い方(笑)ですが

こうやって、年明けからは徐々に父の体力もついて
 回復しているようにも見え、「なんとか退院できるんでは?」と期待していました

2000年1月19日(水)
 いつものようにお昼ご飯に合わせて面会
 起き上って自分でごはんも食べ、持って行った「大根干しの煮物」も
  「やっぱ、味が薄いわ~」と文句つけながらも食べ

父は九官鳥を飼っていて、その名も「きゅうちゃん」安易ですが
 雛の時からなのでとても可愛がっていました
自分が体調が悪い時は、それどころではなかったのか話に出ませんでしたが
 このころには「きゅうちゃんは無事か?」「ちゃんと見てくれてるか?」と
いかにも私が適当に見ているかのように…いいえ、水浴びもさせて可愛がってましたよ

この日も、そんな「きゅうちゃん」の話もしていたら、看護師さんが来たので
 「きゅうちゃん」がこれだけの言葉を言うなんて、自慢もして

本当にこのまま回復してくれると思ったのです

夕方6時半、祖母が慌てて家に来て「病院から電話があって、すぐ来るように」と
 急いで病院に向かうと、父は挿管され、心臓マッサージが続いていました

お昼の時とあまりにも違う姿に茫然でした

緊急に医師が呼び出され、病室に着いたときには、顔は紫色
 典型的な「窒息」という状態だったとのこと

原因は、たぶん「誤飲による窒息」ということでしたが
 これをはっきりさせるには、挿管を抜いて内視鏡で調べるしかありません
挿管を抜くということは……死に至らせるということ

せめて兄が来るのを待ちたかったのですが、 4時間近く掛かってしまいます
 それまで心臓マッサージを続けることは、 規約上無理があるということでした

主人と祖母と3人で相談し、心臓マッサージを止めてもらうことに決めました

時間は午後9時2分

その代わり、原因を究明するために内視鏡で検査を受けました

検査の結果、「緑色の物体が気管に詰まっている」と分かり
 献立を調べると、夕飯に「ブロッコリー」が出ていました

父は、よくむせていましたので、食事の時には「とろみ付」をしてあって
 薬の粉も「お湯で練って」丸めるようにして飲んでいました

ここの所調子も良く、食事も自分で摂って、見守るという状態に回復していたのです
 こんな時こそ、要注意だったのでしょうね


直接の原因は「誤飲による窒息」ですが
 それに至るまでの体力低下を起こしてしまった原因は
がん治療の「5年経過」を甘く見てしまい、健康管理を怠ったこと
 側にいたものとして、とても悔いの残ることでした

「病院側の責任を追求したら」という父の友人もいましたが
 そんな経過だし、家族としては自分たちの責任も感じていたので
そんなことを言い出す気力もありませんでした


父のひつぎには、大好きだった「タバコ」と可愛がっていた「きゅうちゃん」の羽根
  などを入れて、お別れしました




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* by べにこ
ともりんさん、お父様のお話読ませていただきました。
愛嬌があってとても素敵なお父様ですね。
最後にきゅーちゃんのお話・・・、涙が出ました。

まさか誤嚥から・・・だったなんて。
驚かれたでしょうね。
回復しかけていたから尚更、お辛かったでしょうね。

私の父は心臓で突然・・・だったのですが、
今でもその日のことは昨日のことのように覚えています。
私24歳で。辛かったなぁ・・・・・・。
10年以上経った今でも悲しくて仕方ないです。
でも、いつか天国で父に褒めてもらえるような
生き方をしようと思っています^^

まだまだ先ですけど d( `д´)b

お互い頑張りましょうね~!

Re: タイトルなし * by FC2tomorinn
べにこさん、コメントありがとうございます。
愛嬌というか、自由奔放というか…自分が年を取ってからは冷静に対処できましたが、高校生の頃は一端の反抗期もあって(笑)それはもう「このーー」でした。
九官鳥の「きゅうちゃん」はそんな反抗期ってないから、可愛かったんでしょう。この仔は父のあとを私が引き継いだのです。覚えた言葉は父の声でしたから、結構可愛くない声でした(笑


入院当初の時に比べると、上向きになっていたので「退院も夢じゃない」なんて思っていたときだったので。
大きな手術のあとは双方気を付けた生活だったのですが、慣れというのは恐ろしいもの。
いい加減になってしまったことがとても悔やまれました。


べにこさんもお辛かったでしょうね。まだ若かったし。
ちょっとしたこと、好物を買う時とか、あ~これ好きだったなと思い出したりしますよね。
私、両親とも亡くしてるので、命日とか入院した日とかに思い出します。お盆・お彼岸は…ないな~

そうですよね、いつかはあちらの世界に行くので、その時に「何やって他の!」なんて言われないようにですよね。
お迎えに来ても「まだまだ」と断るつもりでいます(笑
悔いの無いように、一日を大事にしないとね、ですね。うん、がんばるよ~~

個別記事の管理2014-06-05 (Thu)
胆管癌術後6年余りの1999年、咳・タンが続くからと受診したら
 栄養不良からの非定型抗酸菌症ということで即入院になってしまった父

本人は「入院するとタバコが吸えない」というのが一番困ったことだと言ってましたが
 体調は「そんなこと言ってるんかい」くらい悪く
 「当面口からの捕食では足りないので、鎖骨下から直接栄養補給してもらいます」と

更に「栄養を取ることが第一なので、好きな物を持ち込んでも良い」とまで
 父に何が食べたいか聞くと「刺身・塩辛・漬物・・・」はい、いっぱい出てきます

一応K先生に確認すると「この際何でもいいです、食べたいものを」
 あの、これって「もう最期だから…」のように聞こえてしまうのですが

病院の食事は、やっぱり薄味なので、元々濃い味が好きな父はげんなり
その点、父の好物は塩味のはっきりしたものばかり
 昼食に間に合うように持っていくと、病院のおかず無視でパクパク…
  まぁ、食べられればいいのかな~~と。毎日お昼には届けました
本当は3食分くらいあると良いのだけど、朝は家族を送り出すのがやっと
 夕飯時は仕事をしていたので。病院食って6時とかでしょ、その頃が仕事タイムだったのです

父の体力では「感染症が命取りにもなる」ということで
 病室に入る時は、全身・靴・かばんまで消毒&手袋・マスクといういでたちに
   持ち込む食材にも消毒、しかも長時間・大人数の面会も

入院して10日くらいは、一進一退の状態で、日々の反応もまちまちでした
私はこの年、長男のクラス委員を受けていて(ジャンケンで押し付けられたともいう)
 参観日の講演で、お寺のご住職を呼んでの講和があったんだけど
 「親子」というテーマで、父がこんな状態だったから色々な思いが重なって
  もっと〇〇しておけばよかったなと、またまた反省してしまいました
親子で聞いたんだけど、担任の先生曰く「お母さんたちの方が良い反応だった」と
 他の人も多かれ少なかれ、親を思い返す機会になってたのですね

そんな私の気持ちを知ってか知らずか、父は少しずつ良くなってくると
 はいはい、始まりましたよ。車いすで「なあ、タバコ吸えるとこ」と言います

11月に入り、体調も良くなってきたので入浴をしましょうと言ってもらえたのですが
 鎖骨下には栄養補給の処置がなされたまま、大丈夫なのかしら

私の心配は当たってしまい、2回目くらいの時に感染症になってしまいました
 高熱が続き、意識ももうろうとして…あれだけ入室にも気を付けているのだから
「入浴」という、細菌と隣り合わせの状態は、やっぱり危険ですよね
 食事もとれず、栄養補給の為とはいえ、また新たに管の差し替えをしたり
又父の血管がつかまりにくいんだそうで、何か所も刺されていました

父も「風呂には入らなくていい」と言っていたそうでして
 清拭だけではどうしていけなかったのかな~と思ってしまいました

折角上向きになっていたのに、またまたふりだし、否、ふりだし以下に
 感染症を防ぐために清潔にということがあだになってしまったのです

折しも「2000年問題」というのがあったのですが(ご存知でしょうか?)
 コンピューター上で、預貯金が0になってしまうとか~色々言われていましたよね
父も「俺の貯金が心配だ、全部おろしておいてくれ」なんて
 感染症のボーーっとしたような状態でも心配していまして
結局、巷の噂のようなことはないと分かっても「この際おろしておけ」と

なんか意外としっかりしているのね~と感心してしまいました
 兄とは「年賀状どうする…」という会話が出るほどなんですよ
つまり、それくらい父の状態は悪いということです

そうそう、もう一つ、感心したことがありました
 父は「賀茂神社」という神社の会計を預かっていたのですが
入院してから「会計をできそうにないから、お金を確かめて 総代に辞任すると言ってくれ」
 と言われて調べたんだけど、1円の狂いもなく、ぴったしに処理されていたんです
家でのあの「ズボラを人にしたような」父が…これにもびっくりでした

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父への意外な思いと、父の意外な一面を垣間見た気がします
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個別記事の管理2014-06-02 (Mon)
大きな手術から5年、経過も良く何より自由気ままが大好きな父
 「あれはしない方が良い」とか「これは消化に悪い」という縛りが
「我慢も限界」だそうで「好きな時に好きな物食べたい」という始末

ずーーっと言い続けるし、実の父娘というものは我慢もできずに
 「じゃあ勝手にすれば」となってしまってしまうのでした

朝食は祖母と二人で、たまごとか納豆とみそ汁という感じで摂っていたそうですが
 昼食と夕食は、出先(仕事ではないのよ)の定食屋か病院の食堂で済ませていたらしく
  その後の2年間は何ともなく、普通に過ごせていました

病院へ行くことも、「一年に一度で良くなった」ということで検査も終了
 もう5年経ったからなのですよね、胆管癌は悪くなってから見つかることが多いので
5年を無事に過ごせたことは稀だったと思います

1999年の夏ころから家にいることが多くなるのですが
 私たちは「軍資金」がなくなったかな~~くらいに考えていました

従兄弟が夏休みで子連れで遊びに来たりしたときにも
 「おいちゃん(父のこと)が家にいるなんて珍しいね」なんて会話です
いかに父が出かけていることが多いかですよね 

夏も過ぎ、涼しくなり始めたころから、ごほごほとタンが絡むような咳をして
 「タンが多くてかなわん」とか「風邪ひいたかな~」というようになり
そのせいもあって「食欲がない」「下痢しちゃった」と…調子が悪いのです

それでも、自分の好きな物が食べたいという父は
 買い物に出かけ、出来合いのおかずで食事を摂っていました
丁度「青汁」がブームになってきたときで
 「野菜不足はこれで摂ってるから大丈夫だ」とも
以前のK病院に行けばと言っても「怠いから…寝てれば治る」という始末
 
出かけなくなったことや、タンが多い、咳が続く・・・と心配になったので
 一年検診ではないけどOE病院に無理やり連れて行くことにしました 

事前の電話予約で「症状から呼吸器科になります」ということで
 「喀痰検査」や肺レントゲンや肺活量などの検査をう受けたのですが
その最中も「何ともない、風邪に大げさだ、タバコが吸いたい」と言いたい放題
 言っているそばから、咳はするし、顔色だって悪いです

検査結果でまず初めに「アルブミン値」が低く、いわゆる「栄養状態が悪い」と言われ
 あ~~、後悔です。食事管理を辞めるんじゃなかった
それが原因で「非定型抗酸菌症」になっているということでした

当時は「非定型」と言われましたが、現在は「非結核性」というのだそうです
 要するに、健康な人なら何でもない細菌でも
身体の弱った人は抵抗力が落ちているので病気になってしまうということです
 
結核と同じような細菌からの感染症だけど「非」なので
 結核とは違って人から人へうつることはないので家族への心配はないと

そこで家族構成を聞かれ「同居家族は(当時)87才の祖母」といったら
 「高齢なので、その人だけは検査を受けてください」と
幸い、祖母は何ともなく。まぁ祖母は私たちとほとんど同じものを食べてましたから
 そうなると、やっぱり5年経ったからと食事管理を怠ったからですよね

父が即入院になったのは10月13日、奇しくも亡き母の誕生日でした

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実の親子ほど気持ちのぶつかり合いが激しく、我慢が出来ないものです
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個別記事の管理2014-05-30 (Fri)
術後に「せん妄」騒動を起こしたけど
 その後は順調に回復に向かうことができた父

体調が良くなると、もう、普段の父に戻ります
 食事が不味い・・・ハイ、お世辞にも美味しそうとはいえません

胆管だけでなく、胃も部分切除したので、まずは流動食です
 あの、どろどろとした、元は何ですかって聞きたくなるような代物

全粥からだんだんそれらしき食べ物になるのですが
 おかずがね~~ 食欲減退させるような物でしたね
一日3回では消化しきれないというか、全体量が取れないので、一日5回くらい

回復してきた父は 「梅が食べたい」だの「佃煮でも良い」とか「タバコが吸いたい」
 顔を見れば文句のてんこ盛り それだけ元気ならいいかと思ってあげました

そんな状態だったから・・・ではないですよ
 術後ある程度回復したので、自宅近くの・元のOE病院に転院することに
可愛い看護学生さんからは、また「退院後の生活」なるノートを貰って

OE病院は家から10分ほどの所だったので、通院するのに良かったです
こちらの病院では主にリハビリと食事指導があったのですが
 私も食事指導を受け、食事回数を増やした状態はそのままでした

父の好きにさせると、自分の好きな物・塩辛とかウメとかばかり食べそう
 なので、当分は私の作った、しょぼい食事で我慢してもらいましょう

3か月をめどに、消化の良くない物は食べないということで
 イカ・ごぼう・冷たい飲み物・灰汁の強いもの・・・う~~ん、禁止事項が多い
 
乳がんの場合、食事制限はないし、翌日から普通食だったことを思うと
 消化器官の手術は、術後も気を付けることが多いのですね

父は、OE病院に1か月くらい入院していたので
 私が食事を工面したのも2か月くらい
でも、ちょっと刻んだり、父だけ違うものになったりと
 結構「食事指導」の言いつけを守ったんだけど
当の本人が「みんなと同じものが良い」とゴネタのですょ
 まったく事の重大さを理解していないんだから

退院後は、まさに「悠々自適」な毎日の父
 「昨日はあっちの・・・今日はこっちの」とパチンコ三昧
薬をキチンと飲んでいるかとか、子供と同じようにチェック
3か月毎の通院も「行ったよね」とチェック

そんな感じで過ごしていても、人間慣れてきてしまうとついつい甘くなっちゃって
 5年目という節目も無事に過ぎたあたりから
家族にも気の緩みが出てきたりで、細かく見ていくこともなくなってしまったのです


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食事管理の名の元、食べ物が制限されるのって本人も家族もストレスですよね
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個別記事の管理2014-05-28 (Wed)
齢62才、今までバイクで転倒とか崖から落ちてという
 凄いエピソードを持ちながらも、病気での入院は未経験
そんな父がいきなり6・7時間に及ぶ手術ということになって
 本人「受けたくない」ばかり言ってました

でも、「胆管癌」は見つかった時には手術不能なほど進行してる場合が多く
 「手術で取れるだけでも良かったんですよ」と先生に言われ
渋々手術を承諾  誰でも手術は怖いですよね~~
 私だって「もし麻酔が覚めなかったら」とかって思いましたもの

実は、手術日が「ここらへん」と予定を言われていたときは
 従兄弟の結婚式があり、祖母・兄一家・私たち一家(もちろん父も)
   全員が呼ばれていたのです
S大病院では手術室・先生の都合はもちろん、キャンセルなどで
 手術日が決まるのは急になることが多いと言われていまして
父の時も、決まる2日前に言われたのでした
 ばっちり結婚式の直近・3日前という間の悪さ
従兄弟たちにはぜひとも出席してほしいと言われても、術後は??なこともあるわけで・・・
 結局祖母と私たち一家が出席することになりました
  書くと一行だけど、結構なすったもんだの末ですよ


手術自体は時間は7時間、「全て取りきれました」という、順調な結果
 付添は、当日から翌日は兄と私で、その次の日は「おばちゃん」にお願いして

父は麻酔も効いているのか、翌日くらいまではほとんど眠っていました
 時々「うーーん」と唸るくらいで、経過も順調だし
当初の予定通り、祖母と私たちは結婚式へ、兄は帰省してくる義姉・姪を迎えに
 留守の間を「おばちゃん」にお願いして病院を離れました

術後3日目、今までは眠っていることの多かった父も次第に起きている時間が増え
 そうなると、ベッドに寝ながら「あそこの〇〇を取ってくれ」とか「黒い鞄が~~」と
   色々言い出したそうなんです
ちょっと聞くと普通の会話ですよね、でも、そこに〇〇はなく、鞄もない・・・
 古い病室で、術後にHCUに入るという機構でもなかったので
  一般病棟(しかも男女混合)に戻ってきたのだけど

病院に戻った兄に、付添さんとして何回も術後の人に接してきた「おばちゃん」が
 「何かおかしいです、看護師さんに言った方が良いと思います」
そういってくれた直後から、点滴の管を外そうとしたり
 まだ絶対安静なのに、ベッドに立とうとしたりし始めて

「ちょっとおかしいのでお願いします」とお願いして様子を見に医学生が来てくれて
  宥めようとしたらそれが却っていけなかったそうで
 術後の体で、どこにこんな力があるのかというほどの力で
   暴れてしまったのだそうです

いわゆる「せん妄」という症状で、大量の麻酔薬により判断力がなくなり
  自分の置かれている状況も分からず
ひたすら元の生活に戻りたいという一念での行動だったようです

術前から顔を出してくれていた「おばちゃん」が
 「手術頑張りましたね~痛いですよね~」と声をかけてくれたり
看護学生さんが「痛いのどこですか?」なんて言ってくれたあたりから
 少しずつ落ち着き始めたそうです

付添についてくれたHさん、術後だけではだめなので
 術前にも顔を出します、その方がご本人が安心だと思いますからって
   全くその通りなんですね

点滴も外すとまで行かなかったので、その後の治療もスムーズにできました
 やっぱりプロは見るところが違うのですね
家族なら「またと分からないこと言って」と済ませてしまうとこでした

っていうか、Hさんも看護学生さんもキレイ系なんですよね
 好みだったのかだから大人しくなったのかまったく

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義父の「せん妄」の時は「強制一時帰宅」だったのよね~男性の方が「せん妄」になるって!
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* by べにこ
全身麻酔って怖いですよね~e-447
実は私、手術の前に”万が一目が覚めなかったら”って手紙をコッソリ書いて
病室の引き出しにそっと入れておきました(笑)
誰の目にも触れぬまま、用無しになってよかったですe-450

それと、私もB型だったりしますよ~e-319
たけべーもB型。B型家族バンザイですねe-266


Re: タイトルなし * by FC2tomorinn
べにこさん、コメントありがとうございます。
分かります、私も覚めなかったらとか~って思って入院する前にかなり整理しました
クリーニングとかゴミの分別とかも書いて(笑
腹部の手術って痛みが強いそうなので、麻酔薬の量も多いんでしょうね。父は普段から冗談とも本気ともつかないことを言ってたので、家族の信頼度低かったの「また~」って言っちゃってたんですよね…
書き残し、本当に日の目を見なくて良かったですよね。もし活躍していたらたけベーさん、号泣しちゃいますよ
何か、血液型の話になるとB型って「変人」とか「協調性なし」とか(-)の部分が取り上げられるのよね~
全員Bとかいうと「え~~大変そう」って。そんなことないのにね~。
うふふ、更なる親近感を抱いてしまいました~~これって血液型に縛られちゃってますか(笑